不定期刊行            231号  2007.9.19

中信高校山岳部かわらばん     編集責任者 大西 浩

木曽高等学校定時制

いきなりの編集子のひとりごと

いきなり「編集子のひとりごと」に面食らわれた方もおいでかと思うが、編集子は気まぐれなのである。この連休宮本さんに誘われて、長野市の大矢さんという方と鹿島槍に登ってきた。そのことを「学級通信」で紹介したのだが、それをそのままの形で皆さんに紹介したい。まずはご覧あれ。(大西 記)

山の風を肌に感じて(木曽高校定時制2学年学級通信「峠」第223号より)

この3連休どう過ごしましたか。僕は15、16の両日、普段は体験できない貴重な体験をしてきました。「全盲」の人と一緒に北アルプスの「鹿島槍ヶ岳」と「爺ヶ岳」という山に登ってきたのです。大矢千秋さんは、71才。50才の時に緑内障を放置していたため、全盲になってしまったのだそうです。彼はもともと水泳やスキーなどが好きなスポーツマンだったということですが、目が見えなくなってからも、それに負けることなく盲人学校に通い、針灸の資格を取り、その困難に立ち向かってきたのだといいます。

長野パラリンピックのころ、クロスカントリースキーにも挑戦したとのこと。盲人のスキーには先行するガイドがつくのですが、たまたま僕の山仲間で中野実業高校のクロスカントリースキー部の監督をしている宮本先生が、そのときのガイドを紹介した関係で、大矢さんとお付き合いがあったとのことです。大矢さんは失明後、スキーばかりでなく、水泳も続け、障害者の国体に今も現役で出場し、一昨年の岡山国体では、金メダルを二つも取ったというのですから驚かされます。

そんな大矢さんが7年前に目覚めたのが山登りだそうです。年に数回の山登りをする中で、次第にその楽しさがわかってきたというのです。今回登った二つの山は決して楽に登れる山ではありません。しかし、鹿島槍の山頂で見えない目でその山頂の風を感じていた彼の顔には何とも言えない満足げな表情が浮かんでいました。

今回は先に書いた宮本先生と私の二人で、ガイドをしたわけですが、登り方はどんな風かというと、先に歩く一人のザックに50cmほどの紐をくくりつけ、大矢さんはその紐を常に握って、先行する人の後ろをついて歩くのです。先行者は、「石があります」「一段登ります」「階段状です」などと説明し、後ろの者も歩きながら「左に切り株」とか「少し右」などと、ときどき注意しながら登っていきます。でも基本的には左手に紐、右手に杖をついた大矢さんが自力で歩いて行きます。その状態で、整地されていない足場の悪い山道を一体何時間歩いたと思いますか?初日は7時間あまり、2日目はなんと14時間以上も歩いたのです。

目が見えないと言うことは、常に真っ暗闇を意味します。2日目の朝、2時半に起床しました。その時はまさに真っ暗闇でした。僕は起きるが早いかヘッドランプを点灯しました。その横に一緒に起きて準備を始めている大矢さんがいました。僕は自分のヘッドランプを消してみました。あたりは漆黒の闇。考えてみれば大矢さんはこの状態で準備をしているのでした。そして、山道を歩いているのです。何も見えない中で、記憶を頼りに手探りだけで。その時僕は月並みだけれど、本当にすごいなぁと思ったのです。頂上で風を肌に感じながら美味そうにコーヒーを飲む大矢さんの顔を見て、僕も目を閉じてみました。景色も見えない山になぜ登るのか、そのほんの一端を感じるために。

山の風を肌に感じて 2(木曽高校定時制2学年学級通信「峠」第224号より)

といって、ぼくに大矢さんのことがわかったなどとはとてもいうことはできません。しかし、歩きながら花にそっと触れ、肌を寄せる姿、「正面に山が大きくなってきた」という僕の声を聞くと「私の右手を持って山の形をなぞってください。そうすればイメージできるから」ということば、稜線を吹き渡る風の変化を微妙に感じ取る様子、「さっきのはミソザザイ、今度のはメボソムシクイ」と鳥の声に対する反応などなど、その時々の動作や振る舞いに、僕らには見えていない景色を感じ取られているのだなぁと感じ入った次第です。まさに研ぎ澄まされた感覚が見えないものをも見せているのでしょう。そんな大矢さんの姿を見ていると、僕らは実は何も見ていないのではないか、つまり見れども見えずなのではないかとさえ思えてきたのです。

3連休ということもあり、台風襲来というニュースにもかかわらず山は大にぎわい。初日の6時に登り口に到着するともう駐車場はほぼ満杯の状態でした。そこで初めて大矢さんとお会いし、事前に彼が用意してきたザックにくくりつける紐を宮本先生のザックにくくりつけ、最初は宮本、大矢、大西のオーダーで出発しました。宮本先生の義理の弟さんも同行者で、都合4人のメンバーでした。初日は途中本校の三村先生も登ってきたり、2日目は爺ヶ岳からは長野山岳会の清水さんも一緒に行動したりして、楽しい山行になりました。宮本さんも大矢さんとの山登りは初めてということで、最初はなかなか勝手がつかめません。足場の悪い山道、どんな風に登るのかと後ろからついていく僕は、最初は気が気ではありません。ところがしばらく歩き出すとその疑問は氷解しました。大矢さんは、後ろから見る限り全く目の見えないと言うことを感じさせないしっかりとした足取りなのです。前を行く宮本さんのすぐ後ろをしっかり足を上げてほぼ同じ調子で進んでいくのです。左手の紐が上下左右を動くのを微妙に感じ取り、その持ち手を多少上下させながら、一歩一歩確実にスタンスを刻んでいくのです。もちろん、足下が見えていないわけですから、足がいつもピタッと僕らの置くような場所にはまるわけではありません。しかし、彼は探りながらすり足をするような歩き方ではないのです。そして、足がうまくスタンスをとられないときも、その乗った場所からのリカバリーが見事なのです。足をおいた瞬間、瞬時にそれをしているのです。常に片足にきちんと立ち込み、揺らいだりつまずいたりすることがないのです今でも国体に出たり、霞ヶ浦の遠泳に出場したりしているという水泳やスキーで鍛えた平目筋が有効に働いているのでしょう。恐らく僕だったらあれだけのコースをあの状態で歩けば、20回や30回の捻挫やひどければ骨折をしているのではないかと思います。それより何より歩き通すことができないと思うのです。途中オーダーを変え、僕も先行者を経験させてもらいましたが、瞬間瞬間にその場の状況を伝える困難さを感じるなど貴重な体験ができました。

とにもかくにも一晩一緒に過ごす中で、教えられることばかりでした。そして、71才の大矢さんの夢は「世界ではじめて佐渡と新潟を泳いで渡ること」と「来年は富士山そしていずれはモンブランに登ること」だそうです。まさにスーパー爺さんでした。