不定期刊行            240号  2007.12.11

中信高校山岳部かわらばん     編集責任者 大西 浩

 木曽高等学校定時制

12月15日に木曽でクライミングをしませんか

 最近信高山岳会に加入し、クライミングにはまっている木曽高校の今井先生が、上松町に素晴らしいクライミングゲレンデを見つけました。(写真の岩場)山岳総合センターの中嶋さんに写真を見せたところ「これはいい!」の一言。早速、開拓に着手してくれました。森山さんにも協力していただいて、今後さらに開拓をすることになっています。今現在は、中嶋さんに開いていただいた3本ほどのルートが楽しめますが、中嶋さんによれば、今後さらに4本ほどルートが開けそうということであり、さらに「どんどん登れば登るほど良い岩場になりますので出来るだけ使ってほしいです。」とのコメントもいただいています。写真は11月15日に木曽高校定時制の生徒と一緒に楽しんだときの写真です。

ロケーションも最高で、今は無理ですが夏などは、目の前の瀞に飛び込んで泳いだり、釣りをしたりすることも可能であり、いろいろな楽しみ方ができると思います。木曽高校からは車で15分。アプローチも、車を降りてから河原に下りるだけと便利。ぜひ一度お越しください。といっても知らなければなかなか・・・という人に朗報を!

今週末の土曜日、木曽高校では生徒・職員に呼びかけてクライミング体験会を計画しています。もしよろしければ一緒に楽しみませんか?昨日の「中信安全登山研究会」でもクライミングや雪山への引率については、積極的に「合同訓練」「合同合宿」を組むことで楽しみが広がるのではないかということが議論されました。せっかく企画するので、もしこれをお読みになって興味の湧いた方がいましたら、ご連絡ください。連絡いただければ、詳細をご連絡します。盛大に焚き火をして暖をとりながら、ワイワイやりませんか?

以下、松田大氏より投降していただいたものです。しばらく不定期で連載します。

松田 大氏の「大会登山参加四方山話」 その1

 長かった高校山岳部顧問生活も余すところ残り少なくなってきた。その間山岳部生徒との関わり合いの一方法として、所謂大会登山に何回も参加してきた。思い出を徒然なるままに記してみたい。この辺ででも記さないと全てが記憶の彼方となりそうである。

 その1:国体山岳競技との関わり

 堂々と出張で県外の山に登れ、全国の岳人(教師や高校生)と交流できることを楽しみに総体登山全国大会への参加を望んだが、中々チャンスが訪れずにいた。そんな中、昭和57年の県大会の折、一番早くゴールしたからと国体への参加を打診され、渋々引き受けた。福井での北信越予選は余裕でパスしたものの、島根での本大会は散々であった。下見でリーダーがマムシに噛まれ浜田市内に入院なんてこともあった。この時初めて救急車なるものに乗った。この島根で一緒の監督だった島根の岡崎さん、岡山の藤本さん、栃木の石澤さん等とは今でも交流がある。このときの悔しさを次年度男子の須坂チームの強化にぶつけ、群馬尾瀬周辺の山中で選手を追い回した。コバ國さんとはこのとき以来の付き合いである。そう云えば北信越予選の会場下見の折、國さん以外のスタッフは下山口で宴会を始めてしまい、酒を飲めない國さんにジュース一本の駄賃をえさに炎天下2km以上も車の回収に行かせたっけ。また鳥取大会の現地合宿へ向かう車中で日航機事故の墜落現場から生存者が救出されたというラジオニュースを聞き、驚きの歓声が上がったこともあった。鳥取の山中では、踏査の地図読みを指導する小生と飯沼さんに対し、成女と少女の選手が異口同音に「先生方はこのコースは何回目ですか?」と聞かれ、「バカモンお前らと同じく生まれて初めて歩くのだ。」と思わず苦笑したのも、今では楽しい思い出である。この時以降は、北信越予選大会長県野会場の際には出来る限りの協力はしてきたが、直接の選手指導の機会はない。

 その2:全国総体登山大会との関わり

 漸く全国の参加資格を獲得したのは、小生がアムネマチンへ遠征した年の、1984年(昭和59年)の秋田大会であった。県大会は蝶ヶ岳で実施され男女で優勝した。この時の思い出としては、下見の折、折角だからと帰路残雪の徳本峠を越え新島々駅まで歩いたことだろうか。島々宿から新島々駅までの国道は大型車の通行が多く怖かった。大会本番は東北だから涼しいだろうと思ったのが大きな間違いで暑さには閉口した。高橋さんが総監督で、新車のプレリュードで一人で秋田までやって来て、「遠かった」との一言が印象的であった。初参加の大会は、女子は一人が捻挫でリタイア、男子は橋から川に落ちるメンバーがいたり、ランタンで火傷をした者が出たりするなど、散々であったが、監督としての心構えを大阪の村川さんから伝授して頂いた。終了後、小旅行を楽しむメンバーを河西さんに託し、アムネの合宿へと直行した。

編集子のひとりごと

松田大氏の原稿は実は「信高山岳会の25周年の記念誌」用にモノされたのですが、量が多かったのと若干締め切りに間に合わなかったとこと、最近の大西の筆無精という3つの理由から「かわらばん」で公表させてもらいます。お楽しみに。(大西 記)