不定期刊行            241号  2007.12.16

中信高校山岳部かわらばん     編集責任者 大西 浩

木曽高等学校定時制

山岳総合センター今年度の講師研修会のご案内

今年も長野県山岳総合センターの特設研修講座「講師研修会3(冬山)」が1月26日(土)〜27日(日)の両日、「講師として、または山岳関係のリーダーとして、雪質観察や埋没者の捜索救出訓練・搬送訓練をどう展開したらよいか検討することを通して、講師としての資質を高める」という目的の下で開催されます。会場は、黒沢尾根(実技)と山岳総合センター(講義、講演、泊)です。小生は、毎年参加していますが、毎年勉強になります。山岳部の生徒引率にあたっての「リーダー」である高校顧問として、ぜひ参加していただきたいと思います。詳細はセンター及び長山協のHPにもアップされていますので、そちらを参照してください。

日程の概要

【1月26日(土)】

・受付9:00〜9:20 大谷原入り口(鹿島槍スキー場へ右折した河原の駐車場)

・実習T 10:10〜15:30 山の観察、雪の観察、弱層テスト、埋没体験等

・移動15:30〜16:30 山岳総合センターへ移動(各自、または乗り合わせ)

・講義16:40〜18:40 「雪崩のメカニズムと埋没者の探索方法」

【1月27日(日)】

・実習U 9:00〜15:00 雪崩埋没者捜索訓練、搬送訓練等

・解散15:30

申し込みは、はがき・ファックス(電話で確認してください)またはE−mail(用件を必ず記入のこと)で、1月15日(火)までに長野県山岳総合センター所長あてに、下記申し込み形式にて申し込んで下さい。

簡単な申し込み・・・下に申し込み書を記載しておきますので、これに必要事項を記入して sance@nagano-c.ed.jp に送れば申し込みが完了します。

もちろんはがきやFAXでも可能です。FAXの場合も記入してこのまま送ることができます。今すぐ申し込みましょう!!!日頃かわらばんを読んでくださっている読者の皆様への大西からのささやかな(?)心遣いです・・・。

【はがきの場合】〒 398-0002 長野県大町市大町8056-1 長野県山岳総合センター

【FAXの場合】(0261)22−5444

「講師研修会3」 参加申し込み形式

氏名(ふりがな)

性別

年齢

所属山岳会等

  〒

住所

  電話          FAX          携帯         

当日の緊急連絡先 電話          氏名       続柄

借用希望物品

松田 大氏の「大会登山参加四方山話」 その2

 1985年(昭和60年)の石川大会も男女で参加した。車利用としたので、コース等を心配した河西さんと下見を実施した。帰路ガス欠の恐れのため、高山市郊外のガソリンスタンド脇で朝の開店を待った。大会では本番前に大分の後藤さんから女子隊監督団のアルコール隊副隊長を任命された。この年の女子チームは身長160cmを越えた体型のよく似た4名が揃い見栄えも良く、体力的にもそこそこで期待をしていた。しかし本番では全46チーム中真っ先に「長野の監督さーん」と呼ばれた。1年生の生徒が鼻血を出したのだった。初日暑くトラブルチームが続出。ヘリコプターで救出され病院直行のチームも出た。二日目の天場で、あるチームがペグの替わりにタマネギ袋に石を詰めて使用しており、アイデアだと監督団の間で評判であったが、強風にあおられ隣のテントを直撃撃破するという事態を招いた。幸い頂上へ向けての行動中の出来事で、選手には怪我はなかった。多くのチームが強風でテントを飛ばされ、小屋に避難したが、我チームは何とか朝までテントを守り通した。結果は初日トラブルでも6位であった。終了後海無し県の面々は能登での海水浴を楽しんだ。

 1986年(昭和61年)の山口大会も男女で参加した。山頂に車道があるコースを含む低山での大会で、天場は全て校庭であった。大分の後藤さんが役員に廻ったため、急遽小生がアルコール隊長の任を務めたが、天場の外で直ぐに購入することが出来ラクチンであった。コースは小さなアップダウンが多く、渋滞の連続であった。この年は毎日のように選手がトラブルを起こしたが、その都度しぶとく隊に復帰し、「長野さんは不死鳥みたいだね。」と他県のチームの面々に感心されたとは選手の言であった。最終日の宿舎までの移動バスは監督だけ別便で、途中アルコール販売のあるドライブインで強制休憩。B隊アルコール隊の解散式とした。折から道路脇を山口線のSL山口号が通過したのも思い出である。オマケは宿舎で自動ドアに挟まれて脇腹を強打、その痛さにもめげず生徒と萩の小旅行を楽しんだ。帰ってからも痛みが取れず、診察を受けたところ、肋骨にひびが入っていた。医者曰く「折れているがもう直っているよ。」とのことだった。

 編者注)いろいろな仕事でいつも「お骨折り」されている大さんは、肋骨をよく折ります。2002年9月南アルプス鋸岳での肋骨お骨折り事件(あのときの教訓は、「酔ったときにキジうちに行く場合は注意」だったが・・・)もご存じの方は多いはず。山口大会でも、酔って宿舎に帰るときのこと・・・?まあ、何度もお骨折りで、ご苦労様です。

編集子のひとりごと

本日16日、去る11月に膵臓癌のためにお亡くなりになった「町田和信」さんをしのぶ会がテル「信濃路」で行なわれました。町田さんは、長野県山岳連盟(現協会)の創設にご尽力され初代理事長(後、会長、顧問を歴任)としてその発展に寄与される一方、1964年にはギャチュンカンの登頂も果たした登山家でした。一方、県自然保護連盟の創設にも当初から関わり、長野冬季五輪の際の岩菅山滑降コースの新設を断念させる中心となるなど、スポーツ登山、自然保護活動、平和運動など幅広い分野で活躍されました。今日は、生前の町田さんの誠実なお人柄を偲ぶ関係者300名が、最後のお別れに集まりました。私自身直接薫陶を受けた場面はわずかでしたが、毅然としてその筋を通す姿勢が印象に残っています。謹んでご冥福をお祈りいたします。(大西 記)