不定期刊行 第242号 2007.12.20
中信高校山岳部かわらばん 編集責任者 大西 浩
木曽高等学校定時制
先の「安全登山研究会」で話されたこと・・・
中信の高校には、学校長経由で、過日行なわれた「安全登山研究会」のまとめが届いているかと思う。各校の夏山の総括、今冬の計画の検討と山岳部活動の活性化に関わって行なった一定の意見交流のまとめなどがその主な内容だが、ここでは、中信に限らず、多くの人にも知って頂きたい「山岳部活動の活性化に関わって一定の意見交流のまとめ」について紹介したい。
山で歌を歌うことはありますか?
静岡高体連登山部の黒川勝先生から素敵な本を送って頂いた。静岡県高体連登山部50周年にあたる今年、その記念事業の一環としての制作した「うたごえ80」(静岡県高体連登山部編)という手作りの歌集である。山で歌い継がれてきた80曲が掲載されている。編者でもある黒川勝さんと小谷田佳一さんは、その前書きで次のように書かれている。「登山は、それ自体が文化だと言われるぐらい、幅広さと奥深さを持っています。縦走・ハイキング・沢登り・クライミング・・・、炊飯・天気図作成・読図・救急法・・・、渓流釣り、植物観察・・・、民俗研究、会談話・・・、この芳醇な山登りの世界の中に、山の歌というジャンルもあるのです。ところで、山の歌は口承の要素が多く、同じ歌が違うメロディで歌われていることが少なくありません(実はそれこそが、歌が生きているということなのですが)。・・・中略・・・さて、今、歌が生きていると言いました。それについて述べさせてください。前段落と矛盾するようですが、間違って歌われるというのは、その歌が多くの人に歌われている証拠だと思います。替え歌を作られる山の歌も多く、愛されているんだなと感じます。誰にも歌われない死んだ歌よりも、みんなに歌われる生きた歌の方がいい。どうか間違いを気にすることなく、気持ちよく歌ってください。それが編者の願いです。」と。歌集の中には、別の伝承系や用語の説明なども「メモ」の形で添えられており、我々にとって郷愁を感じさせるものであるとともに、山を始めたばかりの高校生にも親しめるものとなっている。
昔は、山で歌を歌うと言うことは、極めて身近であった。県内で山岳部歌をもっているのは大町高校(山岳部歌・・・♪わたしゃ名高い信濃の国の日本アルプスのさぁ 下に住む♪)や深志高校(深山りんどう・・・♪槍も穂高もたそがれて 紫けぶる雪の谷♪)などだが、今でも歌い続けているのは、大町高校だけかと思う。職員室で隣席に座る川島さんは諏訪清陵高校山岳部のOBだが、この歌集を見せて話をしたら、即座に「高校生のころいつも天場につくと『薪割り飯炊き小屋掃除 みんなでみんなでやったっけ・・・・』と歌ったもんだが・・・。」というレスポンス。パラパラと件の歌集をめくると、ありましたありました。「山の友よ(成蹊高校山岳部歌)」と書かれている。さらに注として、「成蹊大学山岳部歌として『山の友に寄せて』というのがあり、次の歌詞がある。」と別の歌詞も紹介している。黒川氏によると、成蹊高校では今も部歌としてこの歌を歌っているそうだ。
先日の町田さんを偲ぶ会でもGDM会員による会歌「カルメン故郷に帰る」が最後に歌われて、みんなでお別れをした。そんなわけで、山岳部華やかなりし頃は、大学でも高校でも、はたまた社会人山岳会でも、山のあちこちでそれぞれの団体が自分たちの歌を歌っていたのだった。ま、町にも「歌声喫茶」なんてのもありました。それがいつの間にかカラオケに変貌し、歌い方そのものも変わってきた。上高地のBCで火を囲みながらみんなで次から次へと歌を歌った高校時代、仕事を終えたあとみんなで酒を呑みながら歌を歌った山小屋のバイト時代・・・。パラパラと歌集をめくりながらそんな時代を思い出しながらいくつかの歌を口ずさんだ。
編集子のひとりごと
先週の土曜日に企画した隠れ滝でのクライミングはあいにくの雪のため、断念せざるを得なかった。参加してくれる予定だった大町高と美須々ヶ丘高は、急遽場所をアートウォールに変更して一緒に楽しんだようです。私は、月曜日に本校の若手の先生を誘って、再チャレンジ。ちょっと寒かったがそれなりに楽しむことができた。そこで、明後日22日(土)に生徒ともう一回行こうと画策しています。もし都合のつく方はご一報ください。今回は森山さんも来てくださることになっています。(大西 記)