不定期刊行            248号  2008.2.15

中信高校山岳部かわらばん     編集責任者 大西 浩

木曽高等学校定時制

山岳総合センター「雪崩講習会」に参加して

先週は栂池で、そしてこの連休には中アで雪崩事故が起きた。この2件はいずれも降雪中に起きたことから判断すれば、新雪表層雪崩であろうと考えられる。積雪は、剪断、重力、圧縮の3要素で常に斜面下方向へ変形をしようという力を働かせているため、緊張関係が生じており、極論すれば、「雪が降り、斜面があれば」雪崩の可能性はあるということになる。垂壁であれば常に重力が優先し、斜面に雪はつかず、降る端から下へ落ちて行く。斜面が緩くなれば上載積雪が次第に増え、それと同時に既に積もっていた雪との間にこの緊張関係が増し、雪崩の危険性は増大する。そしてその関係が何らかの理由で破壊されれば必ず雪崩は起こる。一方、一度積もった雪は、その後、焼結と圧密をくり返す中で安定化に向かう。つまり降雪中、降雪直後が最も雪崩の危険性が高く、その後、そのままの状態が保たれれば、雪崩の危険性は持続するということでもある。

山岳総合センターの冬の「講師講習会」では、もう何年も続けて雪崩について研修を行なってきている。私自身も何年もこの会に参加してきたが、だからと言って雪崩が分かったなどとは決して言えない。だから今年も自分なりの課題をもって参加した。従来の山登りに加え最近はボードやスノーシューなど山に入る人が多様化している状況などもあってか、雪崩のハンドブックなども最近では多くなってきている。しかし、くり返して言うが、我々は(というのがおこがましければ、僕はといっても一向に構わないが)雪崩のことを未だに少しも分かってはいない。それにも関わらずわかったような気になるのは危険だ。講習会に参加するにあたり、私は今回の「課題」を、「それぞれの雪崩の体験を互いに語り合ってみたい」ということにおいた。残念ながら班構成上、その僕の所期の目的は必ずしも果たせたとは言い難かったが、それでも三人寄れば文殊の知恵とはよく言ったもので、何人かからは雪崩について情報を得ることができた。センターでもそんな情報の提供を求めている。「いつ、どんな時に、どんな状況で、どんな場所で、どんな規模の雪崩が、どんな形で発生したのか。」こういった情報を集めることは決して無駄なことではない。そしてこういった情報を持っているのは、実際に山にはいっている我々「山登り」に如くはない。

長山協「山のセミナー」

2月3日、4日の両日、盛り沢山の内容で長山協の「山のセミナー」が行なわれた。これはかつて国際部主催で行なわれていた「海外登山セミナー」を発展させ、国際部のほかに自然保護委員会、医科学委員会も共催して広く「山」について学習しようとの意図で開かれたものだ。海外登山では、モンゴルの山の報告(田村宣紀氏)やヒマラヤトレッキングの基礎知識(横地康生氏)、高所登山のタクティクス(柳澤昭夫氏)と三者三様の内容で、夢を膨らませる楽しい報告がなされた。長山協は、人材豊富。この人材を活用しない手はないと改めて感じ入った次第である。

山の登山医学では、長山協医科学委員長の飯田泰人氏による「北アルプスにおける急性高山病の対策」という標題の話があったが、血管拡張作用があることから某精力剤(○○ア○○)が高地肺水腫の発症に対して予防効果があるというユニークな話(もちろん、それだけが話の中心的な話題であったわけではないが)もあり、興味深いものだった。

「身近な自然を考える」との括りで開かれた自然保護関連部門では、第一にGDMの西島昇氏(気象庁長野地方気象台に勤務)による「山の気象学入門」。西島氏は、今は閉鎖されてしまった富士山測候所に、かつて勤務していたそうだが、そのころの貴重な写真などを交えて、落雷と降雪に焦点を絞って具体的かつ分かり易い内容の話をしてくれた。気象庁のHPがどのようになっているか、またどこをどう見ればいいのかなどというヒントも与えてもらえたのは収穫であった。続く「ニホンジカの食害」の話では、南アルプスの鹿が仙丈の頂上まで登っていたりして植生が大きく変わりつつある状況が、実例写真とともに話され(元島清人氏、中部森林管理局)たが、天敵がいない以上事態は深刻であると感じた。

最後に県環境保全研究所(鈴木富雄氏)からは、山小屋のトイレ問題についての話があったが、山という特殊な環境においては技術の開発とコストの問題などクリアすべき問題があることを改めて認識した。なおこのことに関連しては、二日間の会議に先立って、開かれた長山協自然保護委員会の総会の議論の中でも話題になったが、「山麓の登山口にトイレの設置をする運動を推進したらどうか」ということが話された。これは、日帰り登山などにおいては、十分実効性のある提案だと思う。山中のトイレばかりでなく、入山前、下山後のトイレの設置を自治体等に働きかけて行きたい。

八ヶ岳へ「酒」を飲みにいってきました

 2月10日、11日に、信高25周年の祝賀会を終えて以後初の会の例会合宿で、八ヶ岳に出かけた。メンバーは重田、松田、久根、沼田に私の5名。赤岳鉱泉に到着した昼ごろから雪になった。幕営後、安着祝いをしながら、「鉱泉」の前の人工の氷の壁アイスキャンディに取り付いて取材しているNHKのクルーを冷やかす。そこへ登ってきたのは、CMCの河竹さん。大学の後輩を連れてきたという。2時ごろ、早立ちして赤岳に登ってきたという隣のテントの住人、GDMの山田、糸賀、羽田の3氏が帰着したので、招きいれてテントを敲く雪の音を肴に2次会。山で「山や」に出会うのは楽しい。話は盛り上がり、宴は夕刻まで続いた。

南岸低気圧の通過で、結局雪は一晩中降り続いたが、翌日僕らは赤岩の頭直下の斜面(一昨年雪崩がでている)に特に注意して「硫黄岳」へ登ることにした。10時に無事登頂。吹きっさらしのだだっぴろい硫黄岳の山頂は寒い上にガスで視界もなかった。早々に退散。下ってくると、天気は急速に回復し、さっきまで隠れていた山がすべて見えてきた。残念だが仕方ない。でも、山で仲間とゆっくりと時間を過ごして、雪の中に身をおいただけで十分明日への活力につながった。下山後、濡れた道具を干しながらのんびりニュースを見ていると、赤岳天望荘で、一酸化炭素中毒の事故が報道されていた。

編集子のひとりごと

10日は、静岡高体連のみなさんも鉱泉の小屋にいたと聞きました。わかっていれば交流できましたが残念でした。県外のみなさん、長野県の山に来るときはご一報ください。日程が合えば、ご一緒しますよ。また情報提供もできるかも知れません。(大西 記)