不定期刊行            250号  2008.3.28

中信高校山岳部かわらばん     編集責任者 大西 浩

木曽高等学校定時制

松田 大氏の「大会登山参加四方山話」 その8

 2002年(平成14年)茨城大会では初めて下見を実施し、その甲斐もあり漸く入賞にこぎ着けた。只この下見には小生は大きな代償を支払う羽目になった。全校登山の槍コースの下見2泊3日、中2日休みを挟み、茨城のコース3日分を2日間で踏破したまでは良かったのだが、帰って直ぐに右足首の関節炎を患い、余りの痛みに全校登山をキャンセルと相成った。この年も男女で参加したがハプニング続き、ワゴン車2台で出かけたが、目的地間際の高速道上で塩川さんがガス欠エンコ。先行していた小生がスタンドでポリタンを借り、燃料を側道から路側帯に停車中の塩川車に給油して事なきを得た。ガス欠場所が高架上だったらこうは行かなかったし、警察に見つかれば免停ものであった。その女子も初日にメンバーの一人が持病の腰痛が出てリタイア。県大会での優勝メンバーの内1年の2名が出場辞退、漸く借り集めた寄せ合い部隊の付けが回った感じだった。会場コースは山らしかったのは男体山のみで、車道を思いっきり歩かされた。

 2003年(平成15年)はまたまた九州で今度は長崎の雲仙と多良山系が会場。この時も下見を実施したが、秋田大会以来の知り合いの古賀さんには住宅を提供して貰ったり、車を借りてまで下見の送迎をして貰うなど、随分と世話になった。下見の折に雲仙普賢岳の平成新山(立ち入り禁止だが結構は登っている人がいた)に登らなかったのは今でも悔やまれる。台風上陸で開会式は急遽屋内で行われ、初日の幕営審査も無く体育館で避難民生活を体験。2日目の行程はA隊としては異常に長くオマケに後半に急峻な部分が多く、下見の折これは時間が掛かるなと思った通り、殆ど進まない状態になり大幅に時間オーバーで、幕営地到着は薄暮の状態であった。到着後兵庫の中尾さんと相談し、宿舎に向かっていた隊長を呼び戻して貰い直談判し就寝時間等を変更させた。しかしながら翌日の起床時間を遅らせたため、最終日の行程が短縮になってしまった。この年はメンバーも比較的纏まっていたため密かに期待していたのだが、結果は中位以下。原因は、計画書の字が小さ過ぎるという理由での1点と、記録の減点で何と3点も失った。この4点が有ったならば優勝の点数だったのに勿体ない。

 2004年(平成16年)島根の大会では、国引き国体以来の知己の岡崎さんには随分と世話になった。下見は京都からOBを呼び寄せ運転手を務めさせたが、予算的には大幅な赤字であった。コースは三瓶山以外見るものが無く急造の造林道と車道を嫌というほど歩かされた。車道が全コースの半分以上なんてのもあった。小さいミスが重なり成績はまたまた中位であったが、優勝チームとの差が3点余と肉薄しており、繊細さの必要性を痛感した。宿舎のかんぽの宿が良かったのと、終了後の石見銀山見学や出雲大社巡りが良い思い出となった。

 2005年(平成17年)はオゾマシイ千葉大会。県大会でさえ開催できない、こんな所でも全国大会がと思えるコースで、冬や早春ならいざ知らず、夏にはもう2度と願い下げの山々であった。特にヤマビルには散々な思いをさせられた。メンバーを現地合宿で最終決定する予定で部員全員で出かけた。同行した竹田さんが車を側溝にはめるなんてハプニングもあった。読図のスペシャリストが膝の故障で使えなかったのが災いして中位の成績であった。宿舎の君津市内のビジネスホテルは快適で、特に食事は中華や和食のバイキングでボリュームタップリ、高校生の男子でさえ食べきれなかった。まして風越の女子は監督の久根チャン以下もう沢山という顔をしていた。支配人が東信出身の方で、とても親切にしてくれ随分と慰めになった。

(編集子注:千葉大会には小生は代理の代理で総監督として参加した。選手諸君の宿は充実した食事とのことだが・・・D隊の宿は、宿泊料金は最高レベルだったにもかかわらず、悲しいほど貧弱なIH食にがっくり。生魚は御法度とのこと。海辺の千葉県だというのに、大会期間中一切刺身のない食卓はなんとも寂しかった。参加者からもブーブー。さすがに、これでは悲しいと時のD隊隊長石津先生が最終日宿と交渉してくれた。しかし宿の返事は当初はノー、交渉は難航した。そんな中、さんざん粘って一皿の刺身が出た。小生としては99年の高知大会以来6年ぶりの大会参加であったが、大会最終日にはかつてともに全国高体連の役員をつとめた静岡の金子昌彦さん、木村正さん、山形の今野一也さん、北海道の小野倫夫さん、地元千葉の斉藤和男さんが駆けつけてくれ、行動を共にし、旧交を温めたのも懐かしい思い出である。暑い千葉の低い山という条件下ではあったが、全国に多くの仲間ができたのも私にとって収穫だった。)

黒姫山と乙妻山で遊んできました

先日、信高山岳会の仲間たちと北信の山スキーを楽しんできた。22日は信高に新規加入された志学館高校の横内佳代女史の歓迎も兼ねて黒姫山へ。黒姫スキー場から登り、東斜面を滑ったが、最中雪と樹林帯の急斜面に悪戦苦闘。でも終わってみれば楽しい思い出。下山後の宿「富岡」さんで、戸隠のそばを肴に呑んだビールが美味かった。23日は、事情で帰られた横内さんを除く松田、福島、W大西の4名で、乙妻山北東斜面の大滑降をもくろんだ。大橋から登り、林道分岐から佐渡山のコルをこえて乙妻山の南東2297m峰から派生する尾根にとりつく。山頂についてからは文字通りの大滑降で大満足。下り終わってからの佐渡山のコルまでの登り返しもクールダウン?の域を越え、いいトレーニングになった(笑い)。メンバーがメンバーだけに登りで松田さんから「泣き」が入るという珍しい場面を経験することができた。(あっ、ばらしちゃった!)でもあの登りは確かにきつい。しかもスキーとはいえ、標高差850mを約2時間というハイペース。あの年でそれに付いてこられるということのほうが驚異だ。

二日間とも無風快晴で特に360度見渡せる乙妻山からの眺望にはいっぺんに疲れが吹っ飛んだ。

編集子のひとりごと

◆定時制の年度末は忙しい。再募集に追加募集、さらには転編入の受け入れ試験。4月初旬まで入試が続く。さらには今日現在未だに続く不振者の補習授業。山どころじゃない。◆岳人4月号で信高山岳会25周年記念誌「山河醉夢」の紹介がされている。その評が非常に的を射た内容になっていて、編集担当者としては大変うれしい。曰く「・・・初代会長の勝野順さんをはじめ、関係者の言葉には、先生たちの情熱と豪放磊落な姿が語られている。・・・」これはその評の一部だが、「信高」山岳会の面々の「豪放磊落」な姿が見知らぬ評者にこういった形で伝わったとすれば、望外の喜び。(大西  記)