不定期刊行            253号  2008.4.19

中信高校山岳部かわらばん     編集責任者 大西 浩

木曽高等学校定時制

高校生のためのクライミング「無料」体験会

 前号のかわらばんの「編集子のひとりごと」に僕は次のように書いた。「国体は今年度からいよいよ縦走競技が廃止され、リードとボルダーの2種目となる。普及の方がなかなか進まない現状もあり、昨年の活躍が即長野県の現状を表していないというのが現実である。とりわけ女子は現在のところ取り組んでいる生徒は皆無の状態である。長山協の競技部長森山さんは『この状況の打開のためなら努力を惜しまない。』と全面的なバックアップを約束してくれている。どこかに眠っている女生徒はいませんか。」と。

 ただ森山さんも含む長山協のスタンスは、国体選手さえ発掘できさえすればそれでよいなどというちっぽけな?考えではない。それは下記の要項の「目的」を見れば一目瞭然だ。先に行なわれた今年の長山協総会では、ジュニア委員会の方針は、国体委員会、スポーツクライミング委員会が同じ方向を向いて、@中・長期的な展望を持ってクライマーを育成する。Aスポーツクライミング委員会、国体委員会と協力して事業を行う。B青少年に山の楽しみを伝える活動をする。ということにおいていくことが確認された。具体的には、現在開拓中の木曽の岩場も含め、県内各地に支点のしっかりした安全な岩場の整備を進め、それら自然の岩場なども利用した本当の岩登りの楽しさを高校生も含むジュニアの皆さんに提示していく予定だ。

 その第一弾として森山さんから魅力的な話が寄せられたので、紹介したい。「国体?何それ?そんなの興味ないよ!」という人でも構わない。クライミングに少しでも興味のある高校生に紹介してもらえれば幸いだ。願わくは、顧問の先生が生徒と一緒に来てくれることだ。長野市の「アートウォール」に身一つで行けば、ただですべて道具も貸してもらえ、手取り足取り教えてもらえる。

前述したように、今後、長山協の国体、ジュニア、スポーツクライミング各委員会では、タイアップして体験会や交流会を計画していく予定ですが、その第一弾がこれです。

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フリークライミング

雲形吹き出し: 無料高校生のためのクライミング体験会開催

期日 5月6日(火)

時間 12:00〜15:00

場所 クライミングセンター アートウォール

主催 長野県山岳協会 競技部

持ち物 運動のできる服装(用具は無料でお貸しします)

目的 フリークライミングに挑戦し、親しむことによって、よりよい人間関係や自立心・思いやりの心を育む

お問い合わせ・お申し込みは、4月30日までに電話かFAXにて下記まで

クライミングセンター アートウォール

長野市真島町川合189−1  TEL・FAX 026−284−8136

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松田 大氏の「大会登山参加四方山話」 その10

 2007年(平成19年)再び九州会場での佐賀大会。定年まで残り3年、大町高校勤務も9年になるが残留できるだろう。幸い山岳部も健在だから定年までインハイ監督が出来るものと多寡を括っていたら、校長から県ヶ丘高校転勤を打診された。幸い母校の縣陵には人数の多い山岳部がある。しかし本年は全国大会代表一校の年である。総体に出るには大町を負かさなければ行けない。しかも会場は小生が中心となり大町高校山岳部が切り開いた鍬ノ峰である。そんなジレンマを吹き飛ばし、転勤草々やる気満々の部員を引き連れて何回も下見を行い、何とか出場権をもぎ取った。出場権を得た生徒達はそれだけで満足したのか、なかなか指導に乗ってくれずイライラのし通しで有ったが、記念参加だけかとの檄が功を奏したのか、少しずつその気になってきた。金が無いからと渋る校長を説き伏せ、アメリカへ飛行機の免許を取りに行くんだという筒井さんを半分脅し、下見を実現させた。下見は充実かつ楽しく行え、生徒の気力も高まった。そんな中での本番は心配した暑さにもめげず、下見の成果を十二分に発揮できたと思う。大会結果は望外の6位入賞であった。7位じゃ悔しさだけが残るし、2位や3位だと別の意味でもっと悔しい。しかし優勝なんかしたら後が大変だ。従って、5位や6位の入賞は誰からも「良かったね」と云って貰える一番いい成績だとみんなで喜んだ。小生の総体出場20回目の良い記念になったと思っている。

 この間大会の様相も大きな変遷を見せた。昭和時代や平成に変わった当初は開催市町村の対応も大らかで、夏祭りの日程を変更してまで総体参加者を接待してくれたり、焼き肉パーティーなどで選手監督を歓迎してくれたりもした。登山コース下山口では、地元の方々がイベントテントで名産品の冷たい飲み物や果物をふんだんに振る舞い、遠来の選手諸君の苦労をねぎなってくれた。登山隊長を始めとする大会役員や審査員にも、最終日ホテルの宴会場を貸し切って盛大なレセプションを開催してくれた。それがバブルの崩壊と時を同じに次第に簡素化され、今ではほぼ協賛団体のコカコーラのサンプリングだけになってしまった。その品目も現在はコーラとアクエリアスだけである。(以前はウーロン茶やミネラルウォーター等も有ったのに)選手諸君の様子を見れば、女子チームの不参加県が増え体力不足と共にトラブルチームが多くなった。男子チームにも体力不足のチームが目立つようになった。初参加の秋田大会の開会式では暑さでプラカード持ちの女生徒がバタバタ倒れ、終いには交代要員までいなくなってしまったが、選手監督は誰も倒れなかった。しかし熊本や茨城の大会では、選手が倒れ救護のお世話になる案件が続出するようになった。幸い、千葉からは開会式が屋内となり、その心配も不要となった。

編集子のひとりごと

出場20回、長野県のMr.IH監督松田さんの「四方山話」はこれで一段落。原稿はまとめていただいてあったのですが、編集子の怠慢と気まぐれで連載が長引いたことをお詫びします。他の読者の皆さんの投稿も大いに期待してます。よろしく。(大西 記)