不定期刊行            257号  2008.5.24

中信高校山岳部かわらばん     編集責任者 大西 浩

木曽高等学校定時制

四川省大地震に「山仲間」として支援しましょう

かわらばん254号で、長野県山岳協会では、過去にお世話になった四川省登山協会に対し、大地震の支援のため、募金活動を行なうことを決めたと書いた。その中身が決定したので、皆さんにもご紹介してご協力を呼びかけます。

テキスト ボックス: 第1回長野県高校生訪中登山交流会隊(1988)
四川省大姑娘山を登る高校生たち
1.趣旨5月12日四川省においてマグニチュード8.0の巨大地震が発生しました。20日現在死者4万人、行方不明3万人、負傷者は24万人を超え、500万人余りが帰る家がないと報じられています。被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。

中国政府は温家宝首相が直ちに現地入りし、陣頭指揮を執っているほか、国際社会からの支援を要請しております。現地では余震や雨、山間地である被災地域への道路の寸断など厳しい条件の中、懸命な救助活動と復旧活動が続けられています。

長野県山岳協会と四川省登山協会は1981年に始まった「日中合同登山技術研修会」以来、長野県高校生訪中登山交流会隊、海外登山教室、その他トレッキングや記念登山等多くの交流を重ねてきました。また、今後も山仲間が訪れるものと思われます。

負傷者の回復と被災地の復旧を願い、「山仲間」として、四川省地震被災者の支援のため義援金の募集を行わせていただくことといたしました。皆様からいただいた義援金は、長野県山岳協会が責任をもって、四川省登山協会に届け、被災者の支援に役立てていただくこととします。またご協力をいただいた皆様のご芳名は、長山協ニュース「やまなみ」ならびに「ホームページ」でご報告させていただきます。山仲間として、皆様のご支援ご協力をよろしくお願いいたします。

2.主催:長野県山岳協会 主管:長野県山岳協会国際交流委員会

3.2008年5月20日から6月30日まで

4.募金額:特に定めません。お気持ちをお寄せください。

5.義援金の送り先:

銀行名   八十二銀行 信州大学前支店(店番号:421)

口座番号  普通 680297

口座名義人 長野県山岳協会事務局長大西浩

6.義援金の使途:

「長野県山岳協会」名で「四川省登山協会」に届け、被災者の支援にあてていただきます。会計は、長野県山岳協会ニュース「やまなみ」及び「ホームページ」で報告いたします。

テキスト ボックス: 第2回長野県高校生訪中登山交流会隊(1990)
四川省雪宝頂山域5119m峰のBCで
写真は、長野県高校生訪中登山交流会(信高山岳会主管)

播隆上人展、開催中(松本市美術館にて)

江戸時代後期に北アルプス・槍ケ岳を開山した念仏行者「播隆上人」は、今でこそ槍ヶ岳開山として評価が定まった感がある。その評価の定まるにあたり、槍ヶ岳山荘の穂苅さんらとともに尽力した我が高校時代の恩師小林俊樹先生は、その著書「山ときどきの心」の中で、播隆の槍ヶ岳開山について、播隆とその成功を支えた一人の男に思いを寄せて次のように記している。「この槍ヶ岳に初めて登った男に、越中生まれの播隆という御坊がいる。文政11年(1828)、旧暦7月20日。168年の昔(ママ)になる。命をかけた大冒険だったにちがいない。(中略)試登におわった、文政9年(1826)の秋にはじまり、天保6年(1835)までに、5回の槍ヶ岳登高を成し遂げた播隆だが、そのかげには、多くの人々の助力があった。ことに、三郷村小倉の人、中田又重郎の名は、忘れられない。『かげ』の大力だったからである。とかく世の中一般は、表だけに光をあて、裏を忘れることが多い。播隆苦難の開山も、この人を措いてあり得たかどうか。初回以来、一回の山上滞在が、4、50日にも及んだ、岩小屋での念仏修行を可能にしたのも、又重郎一行が背負いあげた、そば粉ゆえであった。1日4合の粉を、水で溶くだけが、播隆の常食だったという。塩分はワカメで摂り、火を使わぬ、いわゆる木食(もくじき)だったから、炊事の煩わしさはなかった。又重郎は、独り山上にある上人の安否を気遣い、補給の重荷を背負って、小倉村からの10里をしばしば往復した。その献身が、荒行を成就させたともいえるのである。」

松本駅前に播隆のブロンズ像が建ったのは1986年のこと。以来、松本市民には馴染みのある「播隆上人」であるが、その足跡と当時の山岳信仰を紹介する「播隆展−槍ケ岳開山とその周辺」が17日、松本市立博物館で始まった。折りしも今年は、播隆が山頂に仏像を安置した1828年の開山から180年の節目にあたるそうで、県内外から集めた遺品や史料約50点が展示されている。

文政9年、播隆と又重郎が辿った槍ヶ岳への初めての道は、鍋冠−大滝−蝶−ワサビ沢−槍沢−坊主の岩小屋−槍の肩であった。以来、槍の穂先に鉄鎖をさげた大願成就の天保11年まで、このルートを4回通っているとのこと。先週は、県大会の下見で蝶の頂上に登ったが、そこで槍を眺め、播隆を思った。「かげ」の又重郎を偲びながら、この展覧会に足を運んで来ようと思っている。みなさんもいかがですか。会期は6月15日まで。

編集子のひとりごと

先週、県大会の下見で蝶ヶ岳に登った。快晴の空の下、目の前に拡がった峨々たる槍穂高の大パノラマにはいつもながらに感動した。まさに絶景としかいいようのない圧倒的な迫力の前に僕は言葉を失う。願わくは、県大会当日もこの姿を生徒に味わわせたいという思いが湧いてきた。久根さんの出してくれた「部報2号」にも書かれていたが、それにしても、雪の多さよ。サングラス、スパッツは必携、ストックもあるとないとではかなり違う。これからの10日間である程度は雪融けの進むことも予測されるので、雪上のルートは大会初日もう一度役員(松田・小生の両名)が赤布をつけにいくことになっている。来週下見に入る向きもあるかと思うが、ルートファインディング(特に長塀への登り)をしっかりして事故のないようにしてほしいと願う。(大西 記)