不定期刊行            263号  2008.7.20

中信高校山岳部かわらばん     編集責任者 大西 浩

木曽高等学校定時制

新疆登山事情・・・新疆のヌルさんが来日

新疆のヌル(タシ・ヌルマイマイマティ)さんといえば、ご存じの方も多いことと思う。かつて新疆登山協会の日本部に所属し、多くの登山隊の連絡官や通訳を務めてくれた。僕自身も1999年から2001年までの一連の「セリッククラムムスターグ(カシタシ主峰)」登山に当たっては随分世話になった。そのヌルさんから、来日しているというメールを受けたのは、5月のことだった。たまたま12日に上京する機会があったので、連絡をとり、カシタシ登山隊のときの「信毎」の同行記者で現在は東京支社にいる小松恵永さんも交え、一晩旧交を温めてきた。ヌルさんは、現在は新疆登山協会を退職し「新疆青年旅行社」に所属しているが、新疆への誘客のためにビジネスビザを取得して来日している。7月17日に山梨岳連の「ムスターグアタ」登山隊とともに一旦帰国するが、10月には奥さんを連れて再来日、来年の今頃まで日本で仕事をすることになっているそうだ。ヌルさんからいろいろな情報をもらったので紹介したい。

ここ数年「新疆」への登山客が減ってきており「新疆登山協会」の仕事も激減する中で、登山協会は規模を縮小し、多くの職員が退職した。現在の「新疆登山協会」の仕事は「登山許可」を出すことと北京の「中国登山協会(CMA)」を経由した登山の受け入れがその主な仕事だとのこと。そのかわり、実際の登山の受け入れはヌルさんの所属している「新疆青年旅行社」などが行なっているそうだ。我々が新疆で登山活動するにあたっては、有り体にいえば旅行社が増えたと言う程度のことで、たとえばその一つの選択肢としてヌルさんを通して行なえば、登山許可申請から様々な手配がしてもらえるというだけのことだ。いわば中国版「民営化」であるが、この形態は四川や青海ではすでにもう何年も前から行なわれている形態であり、それほど驚くに値することではない。また「カシュガル登山協会」も解散し、この方面もウルムチのヌルさんたちの仕事になっているそうだが、コングールやムスターグアタなど「キルギス地区」の登山は、その地区の観光活動全般について、北京の「中坤旅游公司」という新たにできた会社が権利を買い取ったことで新たなトラブルも生まれているそうだ。その「公司」が勝手に関所を作って入域金を取ったり、今まで使っていた現地住民所有するラクダなどを使わず、自分たちが契約したラクダを使ったりすることから余分な金がかかるようになり、現地住民とのトラブルも生まれているなど情勢も変化しているようだ。ムスターグアタの登山はヨーロッパとりわけドイツなどの若者がパキスタンからどんどん入ってきて、スキーを使ったりしながら、比較的短期で攻略しているのが最近の傾向だが、日本人は相変わらず時間をかけて登っているという印象があるとも言っていた。かつてのように長期に職場を空けての遠征がしづらくなってきた今(本当はこのこととも折り合いをつけねばならないが・・・)、我々教員が「夏休み」を使って6000m以上の山を目指すとなれば「新疆」はなお魅力的な場所である。話の中でいくつかのいい山を紹介された。高校生の交流も含め、検討の価値ありである。そんな意味では、ちょっと刺激を受けた一夜でもあった。10月の再来日時には、長野に呼ぶからと約して別れた。

松本深志高校山岳部創部90年「みんなで歌おう山の歌」

7月8日、母校の松本深志高校山岳部が創部90年を記念して、コンサートを開いた。題して「みんなで歌おう山の歌」。「空オケ」ならぬ「生オケ」で山の歌を歌うという珍しい経験をした。前半は、塩尻市を中心に活動をしている「アンサンブルセバスチャン」という室内楽団による「珠玉のクラシックコンサート」で、モーツァルトの『アイネクライネナハトムジーク』やヘンデルの『パッサカリア』、ショパンの『幻想即興曲』、J.シュトラウスのワルツ『ウィーンの森の物語』などいわゆる「山や」にとっては格調の高い催し。それに続く第2部は、会場の集会者も一緒に、「みんなで歌おう山の歌」と題して、「雪山賛歌」「山男の歌」「岳人のうた」などおなじみの山の歌を室内オーケストラの伴奏をバックに大きな声で歌った。

僕自身は山岳部のOBではないのだが、長山協がこの企画の後援をしていることもあって、その関係で招かれて(なんとなく場違いな感じで居心地が悪かったが・・・)参加した。僕の高校時代は、山岳部ばかりでなく僕のような普通の高校生にとっても「山」は身近な場所にあり、山岳部の設営する上高地のベースキャンプを使いながらクラスキャンプや登山を行ったものである。そんなとき、あるときはキャンプファイアを囲みながら大勢で、またあるときはテントの中で小人数で、時には手拍子で、時には肩を組みながら大きな声で歌を歌ったものだった。山の歌からワイ歌まで・・・。

今では歌といえば、「カラオケ」のことを指すくらい、「カラオケ」が人気であるが、そのころは「カラオケ」は、演歌を歌うオジサンが自宅で行う趣味といった趣であった。その「カラオケ」がいつの間にか市民権を得るとともに、みんなで肩を組みながら歌を歌うというようなことも少なくなっていったように思う。山の歌を歌うと、心が一つになる。山のスタンダードナンバーに始まり、「穂高よさらば」などの北アルプスの歌、尾瀬を歌った「夏の思い出」や東北岩木山を歌った「シーハイルの歌」、「エーデルワイス」や「フニクリフニクラ」などのヨーロッパの歌、さらには深志高校山岳部で部歌として歌い継がれてきた「深山りんどう」など全14曲、どの歌も、あのころ(それぞれの高校時代)を思い返しながら(だろう)、会場の全員が大きな声で歌い続けた。「山の歌」に「室内楽」とは、なんというミスマッチという気もしないでもなかったが、終わってみれば、みんながみんな充実した満足げな顔つきであった。多分こういう企画は「これが最初で最後」とういうのが開会当初の主催者の言ではあったが、一般にも公開されて行われたこの企画には、山岳部OB会員40名あまりのほかに80名近くの一般参加者もあり、単なるOBの郷愁に陥らない楽しい企画となった。

編集子のひとりごと

先日本屋の店頭に並んでいた藤田弘基氏の「K2」の写真が目に留まった。まだ見たことはないものの、僕は「K2」の写真を見るとなんとなくそわそわする。表紙にこの「K2」写真を冠した笹本稜平著「還るべき場所」(文藝春秋刊)。高校時代から登山にのめりこんだ4人の若者。4人が挑んだ「K2」で、最も信頼するパートナーを失った主人公「翔平」の失意と再起。彼にとって「還るべき場所」とはどこだったのか。K2を目の前に見ながら行われるブロードピークでの公募登山の顛末は?そして、執念とも言うべきK2への登攀。これはフィクションであるが、なかなか面白かった。(大西 記)