不定期刊行            264号  2008.7.31

中信高校山岳部かわらばん     編集責任者 大西 浩

木曽高等学校定時制

県陵の「夏山便り」・・・「大」の雷も朝からの過放電で尻窄み?!

県ヶ丘高校の夏山縦走は、島々から徳本、蝶、常念というもの。生徒の不手際に「大」さんの雷が落ちっぱなし、おまけにペナルティーの霞沢を挟むという「有意義な」山行だったようで・・・。それでは報告をどうぞ。(編集子注)

三連休(7月19日〜21日)、県陵山岳部生徒6人と夏山縦走に行って先ほど帰りました。トラブル。ハプニング続きの3日間でしたが、取り敢えず全員無事下山しました。

初日、島々宿から徳本峠へ。生徒の家庭事情で、早朝集合できず素直に新島々7時集合。々宿のバス停では、すでに気温がだいぶ上昇。生徒の忘れ物に朝から雷。

徳本峠までの登山道は、昨年の豪雨の爪痕が所々に残り、かなり歩きづらい。二股の数百メートル手前では可成りの区間に渡り林道そのものが流失していた。岩魚止め小屋まではたいしたトラブルもなく、ほぼ順調。それからが大変、1年生が交代でバテ、峠直前で一人が過呼吸でダウン。強制大休止で天場到着は15時過ぎになってしまった。峠の小屋は、中高年でほぼ満杯、天場も満杯。どうも霞沢人気が原因の様子。生徒はテントのお骨は間違えてくるは、銀マは持ってこないは等々、忘れ物のオンパレードで雷も過放電で尻窄み。すわ最悪ツエルトに寝る羽目に・・・・と覚悟したが、間違えただけで、ポールは持ってきていたので、不格好だがテントはたたって一安心。

当初の計画では二日目は蝶ヶ岳へ移動するだけ。諸々の不手際へのペナルティーを兼ね、何かプラスアルファーをと指示したら、彼らが相談の結果出した答えは、・・・?大滝から鍋冠往復、若しくは蝶からの長塀往復というしろもの。バカバカしいから両方とも却下。小生提案は、霞沢岳に行くというもの。生徒は難色を示したが無理なら途中までで落着。

明けて二日目、不手際で出発予定を大幅オーバー。追加課題で、途中引き返しではなく、頂上までの予定で出発。往復5時間強ぐらいだろうと多寡をくくって出発したものの、遠かった!。アップダウンも厳しく、とんでも無い急登があったり、霧雨まで降る始末。霧の中の頂上は、行ったというアリバイ作り以外の何物でなかった。結局往復に6時間も要した。それでも小屋の人に、速いと褒められた?!。それにしても取り立てて特徴があると思えぬ霞沢岳に、なぜにあんなに人が行くのだろうか?

テント撤収にも手間取り、再び歩き始めたのは昼近く。6時間も行動した後なので、動きが鈍い。おまけに行動パターンの取り方が悪く、メンバーの動きが悪くなるほどの時間歩き、体が冷え切るほどの長時間の休憩を取るの繰り返し。そして小生の雷爆発。いやはやイヤハヤ・・・。大滝小屋到着は17時、当然ここで泊まると思うものの、彼らはどうしても蝶まで行くと行って譲らない。結局蝶の天場に到着したのは19時前。小雨も降り出し散々な13時間行動でした。でも小生らが到着してから後にも3パーティーも来たのにはビックリした。

3日目の今日は素晴らしい好天で、槍穂高の眺めを十二分に堪能。昨日の無理も後を引かず、快調に歩を進め、丁度4ピッチで常念岳山頂着。無風快晴の中40分近く大休止をし、眺めを堪能。9時半過ぎには常念小屋着、居合わせた山田さんに挨拶をし、暫し談笑。小生が高校生を連れてきたことから、昔の高校山岳部の諸々の蛮行など、貴重な話を拝聴できた。ついでに生ビールまでご馳走になった。

昨夜は宿泊が400人を上回ったという。道理で常念の山頂が賑やかだったわけだ。後はひたすら一ノ沢を下るだけ。13時半にはタクシー乗車。14時前には穂高駅着、下界の暑さに参る。徳本峠から蝶ヶ岳の間はあまり歩く人もいない渋い山。小生にとっても、徳本峠から大滝山の間は、下農時代以来約30年ぶりであった。多くの課題点が露見するなど、有る面では有意義な合宿でした。1年生にとっては入部以来始めての本格的な登山。2、3年生にとっても、昨年度縦走を経験していないため同様。それにしても、昨日の13時間、1年生は辛かったろうな。(以上松田 大 記)

教育センター研修・・・焼岳と上高地の生成過程を体感

7月25日、26日の2日間、長野県総合教育センターの「大地の生い立ち――焼岳・上高地」という研修講座に参加してきた。この講習会の講師は、北アルプスの山岳地形・地質研究の第一人者である信大の理学部の地質探偵ハラヤマこと「原山智」教授。

ほかに登山技術のサポートとして山岳センターの中嶋岳志さん、上高地の「柳」を集中的に研究されている穂高西中の横内正さんも同行。参加者の中には、山仲間の赤穂の池迫さんと志学館の大西さんもおり、話もはずみ楽しい研修会であった。

先に「地質探偵ハラヤマ」と書いたが、原山さんの著書「超火山槍穂高」は以前「かわらばん66号(2003.09.08)」でも紹介した。この書は文系人間の私にも目から鱗が落ちた書物であったが、今回はそれを実証的に体験できて鱗どころか目玉が飛び出るくらいの驚きと感動の連続であった。初日は中ノ湯からの登山道を焼岳に登り、上高地まで、2日目は上高地を明神まで移動しながら、地形や石の変化などを見ながら、要所要所でレクチャーを受けた。カルデラの底に堆積し今は槍穂連峰を形作っている溶結凝灰岩、140万年前にできた世界で最も新しい花崗岩である滝谷花崗閃緑岩、マサ化している6000万年前の奥又白(有明)花崗岩、そして上高地の基盤を作っている1億5000万年前のジュラ紀にできた頁岩・・・。話を聞いているうちに、普段はあまり気に留めることもない足下の土の色の変化にも敏感になり、何の変哲もない「石たち」がいとおしくなってくるから不思議なものだ。

さらに上高地に残る地質上の不思議の解明、これは、信大の山岳科学総合研究所のニュースレターに「上高地物語」の名で連載中でホームページにもアップされているのだが、具体的には「河童橋がなぜあの場所にあるのか」とか、「ウェストンレリーフの母岩の秘密」などの話題にも興味をそそられた。

その昔、槍穂高がかつて巨大カルデラの底にあったという「発想」と、それを地道に裏付ける調査。足で実証しつづける原山さんの姿は「夢を追う人」さながらであった。

編集子のひとりごと

かつては夏休みが待ちきれないとばかりに、山岳部はどこも競うように山に入ったものだ。また、夏休みは、普段できないことができるところに「良さ」があったのに・・・。山岳部がゆっくり合宿や縦走も組めないような「日本の教育」はどうなっちゃったのだろう。そんな中、第一発目の「夏山便り」が県陵の松田さんから届きました。(大西 記)