不定期刊行            273号  2008.10.17中信高校山岳部かわらばん     編集責任者 大西 浩

木曽高等学校定時制

錦秋の裏剱仙人池と下の廊下

11日から13日までの3日間「黒部ダム−内蔵助平−ハシゴ谷乗越−剱沢−二股−仙人池−仙人湯−仙人ダム−下の廊下−黒部ダム」と一回り。紅葉を愛でながら登ったり下ったりを繰り返し、十二分に堪能してきた。同行者は松田大、飯沼健樹の両氏と私の3名。実は歩き出したときは、赤羽康定氏もいたのだが、出発して約1時間両靴底の剥がれにより無念のリタイヤ。出発直後だったので、赤羽氏には気の毒だが結果的には大事には至らなかった。もしもっと先でこの事態が起こっていたらと思うと複雑である(このことについては後記)。最もにぎわう秋の連休であったが、前半部の内蔵助谷は、登山者も少なく、谷の中で出会った登山者は4人しかいなかったが、そのうちの2人はアートウォールの園田さんと赤塚さん。静かな山で紅葉を堪能した。後半の仙人池・下の廊下はさすがに人が多く、小屋はすし詰め状態だったらしいが、我々テント組は余裕。

赤羽氏の無念のリタイヤを尻目に、久々に会の例会合宿に参加した飯沼氏を交えた我等3人の3日間の合計獲得標高は2000m、下りの合計標高も2000m(つまり出発と帰着が同じということ)、最高到達点は仙人池手前の仙人山山頂との分岐の標高2100m。地図を見ていただければわかるが、こうして、3日間登ったり下ったりを繰り返しながら、さんざん歩き回った結果が、「結局ピークには一度も立っていない」というなんとも珍しい山行だった。しかし、山頂に立たないと言うことは、逆に言えば、山を眺める山行でもある。その意味でも美しい紅葉を満喫できた。

さて、こんな山行のトピックを3つ。その1、満を辞して久々に登場、カシタシ遠征以来となる飯沼氏には食当をお願いした。なんと、予め「ペミカン」を作ってきてくれるという気の使いよう。ペミカンを作って山へ持って行くなんていつ以来のことだろう。これだけでも飯沼さんの山への気持ちがわかろうというもの。そのペミカンで作ったすき焼きは間違いなく美味。恐らく今の若者に「ペミカン」と言ってもわからないだろう。山文化の継承ということも思わされるハッとした食事だった。その2、仙人湯から阿曽原峠を越えて阿曽原へ行く道は危険だから(仙人湯のオヤジさんの話)という理由で2年前から廃道になっていた。そのかわりにつけられたのが、仙人湯の南の対斜面の尾根を仙人ダムへ下る道。この道に随分難儀した。あまり踏まれていないことに加え、急斜面のやせ尾根、ハシゴとロープの連続、さらに滑りやすい黒土。その黒土がついた足で不用意に木の根やササに乗ると滑る。結構緊張、ところにより往生。果たしてこの道が危険回避になったのか?やや疑問。その3、最終日、下の廊下を辿って内蔵助沢出会いに出たところで、蟻ヶ崎高山岳部OBでKスポーツ勤務の中島君にバッタリ。彼の話では、入山日にも扇沢で我々の後姿を見かけたとか。彼らは、室堂から剱の北方稜線を回ってきたとのことだったが、行きも帰りも同じトロリーに乗るとはなんという偶然か。

ポリウレタンミッドソールの破壊についてメーカーにもの申す

今回我々の同行者として、仙人池に行くのを楽しみにしていた赤羽さんの靴に異常が見られたのは、出発して約1時間後のことだった。Z社製の購入後6年目のトレッキングシューズの左足かかと部分がぱっくりと剥がれた。仕方がないので荷物を分け帰宅するしかないと安定したところまで移動をしている途中で、今度は右足の同じ箇所がやはり剥がれた。7年前、生徒と一緒に開田村のトレッキングの最中僕の履いていたトレッキングシューズ(A社製)が全面ぱっくり剥がれた。また、5年ほど前には、やはり生徒と一緒に白馬に登っていたときに白馬鑓で、同行していた顧問筒井さんのトレッキングシューズ(H社製)の底が剥がれた。これら2例もしばらくして反対側も同じような状況となった。僕の場合は通勤などにも使っていた4年ほど使用のもの。筒井さんの場合は初下ろしであったと聞いた(それ以前にどういう状態にあったかは聞かなかった)。幸い僕の場合は、ライトな里山歩きだったので事なきを得た。筒井さんはテーピングテープと針金をギリギリ巻いての鑓温泉経由での下山に随分往生した。

これらが、ミッドソールに使われている「発泡ポリウレタン」の加水分解による破壊が原因であるということは、最近では広く知られている。そして、高温多湿状態が加水分解を進行させるということもわかっている。しかし、この「高温多湿」下という表現は極めて抽象的かつ主観的な言い方であり、どの程度のことをいうのかは非常に不明確である。また概ね5年経過した靴は要注意というのも漠然としている。

メーカーは注意を促してはいるが、それで済む問題だろうかというのが私の意見である。こういった事例は仲間内以外でも耳にするし、実際テープや針金で捲いた靴を履いている登山者を山で見かけたことも一度や二度ではない。一方で5年はおろか10年経っても何の問題もない靴もある。HP等で検索して見ると靴底の剥がれには前兆があるように書かれているものもあるが、私が経験した限りこれらはある日突然訪れると言う印象が強い。靴づくりのプロの目には危険と映る状況かも知れないが、山行前に異常がなかった靴が突然剥がれるという異常事態を我々素人は予測することが可能だろうか?

歩くことそのものが目的である山登りにとって、靴のソールが剥がれるということは即その後の行動を制約する。そしてそれは山という極めて制約のある条件下では、最悪の場合は命に直結する。もちろんどんな道具であってもそうだが、靴はその最たるものだ。最近ではポリウレタンを使用しないメーカーもあるようだが、そのあたりは明確ではないように思う。便利さ、動きやすさ、軽さなどからポリウレタン製のミッドソールは急速に普及したそうだが、「経年劣化する可能性がありますのでご注意ください」ではメーカーはあまりに無責任である。何事にも絶対はあり得ないが、壊れる原因のはっきりしているこの靴を製造し続けることは問題があるのではないか。5年に一度靴を買い換えさせるために技術革新を怠っているのではと勘ぐりたくもなる。かつての登山靴は一生ものと言われ何度もビブラムを張り替えて使ったものだ。

かつてプラスティックブーツが破壊するということが問題になったときもそうだった。当たり前と考えるのでなく、登山者としてみんなが声をあげるべきではないだろうか。

編集子のひとりごと

折しも最新11月号の岳人で、「高所登山靴の剥離」という記事が目についた。遠征中に使用したK社の靴底が剥がれ、遠征そのものを中断せざるを得なくなったというものだ。こちらは接着剤が原因で、ミッドソールが問題ではないということのようだが、再度言う。山屋にとって「靴」は命にも影響するものだということを。(大西 記)