不定期刊行            274号  2008.10.20中信高校山岳部かわらばん     編集責任者 大西 浩

木曽高等学校定時制

木曽高校アウトドア部「木曽街道踏破」完結編・・・妻籠から落合

2006年11月から続けてきた木曽高校定時制アウトドア部の木曽街道踏破、足かけ3年7回に分けて北から順次歩き続けてきたが、ついに木曽街道を歩き通し、落合宿に抜けた。最終回のメンバーは男子生徒4名、女子生徒3名、顧問2名の9名。このコースの逆コースは、4年前に一度アウトドア部で辿ったことがある。しかしその時は馬籠から妻籠までであった。

10:50 快晴の空の下、妻籠宿を出発。車回しをしている間に一人先行していたHさん(63歳の生徒)に集落の端で合流。まだ紅葉には早いが、川の流れも心なしか秋を感じさせる。いったん国道を横切ったあと大妻籠までは国道と並行した歩道を進む。登りが続いてHさんはやや難儀している。本校の生徒で大妻籠に住んでいるF君の家を表敬訪問。たまたま家にいたF君とひとしきり話をしたあと、再び出発。集落を過ぎて九十九折れの登りにかかったころからHさんがかなり遅れ始めた。このままだと後のお楽しみの温泉入浴に差し支えそうであったので、話をしてHさん以外は先行、Hさんは馬籠でピックアップすることで了承してもらう。Hさんは、中卒「金の卵」として大手ゼネコンで定年まで勤め上げた後、本校に入学してきたという経歴をもっている。僕よりはるかに人生経験のある大人である。週3回人工透析をしながら高校に通い、置き忘れてきた「青春時代」を謳歌している。

妻籠、馬籠間は比較的古い街道が残っている快適なハイキングコース。石畳の道を辿って、倉科祖霊社、11:55には吉川英治の「宮本武蔵」の舞台ともなった男滝、女滝を通過。以前は営業していた滝上の茶屋は店をたたみ、営業をしていなかった。車道を暫く行き、もう一度山道にはいると、木陰の道の涼しさが身にしみて感じられる。もう一度国道を横切って心地よい道を一登りすると、「一石栃白木改番所跡」である。時刻は12:15、休憩するにも快適なのでここで昼食とする。昼食を終えたころ、鈴鹿から来たという30人の団体が下りてきた。今日は天気もいいので歩いている人も多いが、この団体は別にして外国人の多いこと。すれ違う人の7割方は外国人だ。日本的な魅力のある馬籠、妻籠の素晴らしさをこんなことからも逆に気づかされる。ちなみに我々のグループの中にもフィリピン国籍の生徒が4名、こちらも外国人が多かった(笑い)。

13:00 標高801mの馬籠峠に到着。「白雲や青葉若葉の十三里 子規」。この峠に立ち、来し方行く末を見ると景色は一変、それまでの山道が一気に開け、空は広く美濃の平野へと続いていくのがよくわかる。かつての「山口村」という表示に変わってつけられた「中津川市」という看板はまだ新しいが、旧山口村はもともと岐阜県だったのかも、という印象も沸いてくる。

民家が点在する中を馬籠へ向かう途中に、十返舎一九が「木曽街道膝栗毛」を執筆するときに立ち寄った時の歌「渋皮を剥きし女は見えねども栗のこはめしここの名物」の碑がある。季節もぴったりだ。車道を何回か横切って、最後に切通しの道を登り、民家の前をぐるりと回るとぱっと視界が開け、目の前に恵那山が飛び込んできた。眼下には馬籠の集落が続いている。「藤村」が朝な夕なに眺めた景色、藤村を育てた景色、夜明け前で愛情を込めて描いた景色である。「あの位山を見た目で恵那山を見ると、ここにはまた別の山嶽の趣がある。遠く美濃の平野の方へ落ちている大きな傾斜、北側に山の懐をひろげて見せているような高く深い谷、山腹にあたって俗に『鍋づる』の名称のある半円状を描いた地形、蕨平、霧ヶ原の高原などから、裾野つづきに重なり合った幾つかの丘の層まで、遠過ぎもせず近過ぎもしない位置からこんなにおもしろくながめられる山麓は、ちょっと他の里にないものであった。(夜明け前より)」ぶらぶらと宿場を下り、馬籠の宿を後にした。14:00 宿場の喧騒を離れ、田んぼ道にはいると『鍋づる』が静かに、そして暖かくこの宿場を見守っているのが改めて感じられた。馬籠から落合へは、だんだんと高度を下げながら道は続く。諏訪神社にある藤村の父島崎正樹の碑を左手に見、子規の「桑の実の木曽路出づれば穂麦かな」の碑を右手に辿れば、眼下に中津川の町が一望できるようになった。山の中の道「木曽路」を抜けた感が一層強くなる。

14:35新茶屋の一里塚跡に到着。ここが、かつての信濃と美濃の国境、文字通り木曽路を抜けたのである。藤村の筆になる「是より北木曽路」の有名な碑がその歴史を伝えている。その碑の前で、全員で写真を撮る。(右の写真)思えば、2006年の11月に桜沢の「是より南木曽路」を7人でスタートして以来、辿ってきた90キロあまりの道のり。数えてみれば延べ42人(15人が参加)で繋いできたこの「木曽街道踏破」である。ある感慨が湧いてきた。

傍らにはここにも芭蕉の「送られつ送りつ果ては木曽の秋」の句碑が立つ。ここから一下りすると、名高い落合(十曲峠)の石畳が木立の中を右に左に縫うように続いていく。苔むした古い道、新しく復活した石畳、800mにわたるこの道を下り終えて暫く行くと、山中医王寺。ここにも「梅が香にのっと日の出る山路かな」の芭蕉の碑。あとは、車道を進み落合川を渡って、車をとめてある落合の公民館へ一目散。15:15落合宿入り口に到着し、木曽街道踏破は完了。

河上Tと車回しに行く途中で、馬籠に到着していたHさんをピックアップ。さらに生徒を回収したあとは、お決まり、最後のお楽しみ。温泉へと向かった。今回はかけ流しの「あららぎ温泉」へ。ヒノキの香りの湯船で生徒と裸のつきあい。さっぱりした身体で、学校へ戻ったのは授業開始5分前の18:10。本日もぎりぎり滑り込みセーフ。

編集子のひとりごと

木曽街道踏破終了。この企画について前部長T君は次のように言う。「正直に申し上げると当初は興味がわかなかった。しかし部長という体裁の問題もあって私はしぶしぶ参加した。退屈な思いで歩き始めた私の目はきょろきょろと退屈な気持ちを救ってくれるものを探す。すると風景の微妙な色や音に鋭敏になる。目に付くものことごとくに興味を示して、いちいち周りの人に話しかけて寸評し始める。すると次第にみんなもおしゃべりになってくる。いつも自動車から眺めていただけの道を、今日は何時間もかけて歩いている。風の冷たさや一歩の重さに途方もない現実感を覚える。始めてこの道を通るような奇妙な錯覚だ。それは色んなことを知った気になっていた自分が、単なる『知識』を超えて『本物』と遭遇する瞬間である。」少しはいいことしたかも。(大西 記)