不定期刊行            281号  2008.11.14中信高校山岳部かわらばん     編集責任者 大西 浩

木曽高等学校定時制

「登山研修交流会」の感想 その2

1)高橋一平(野沢南高校生徒)

 いつもと違って山を登るだけでなく、いろいろな結び方やハーネスの利用など普段できないことができてよかった。特にその中でも、ザイルとハーネスを使っての実技がよかった。二日間を通して他の高校の様子も知ることができてよかった。活動交流では、他校の活動内容や部員数などがわかり参考になった。聞いてみて、どの学校も部員の確保が大変なんだなあと思った。

 児野山の登山は、前日に練習した搬送やロープワークを実際にやってみて、さらに知識や技能が高まったと思うのでよかった。その中で、ロープワークは初めてやるには丁度よい斜度の坂だったので、やりやすかった。実際にやってみて、自分の足場を確保しないとロープワークが難しいことがわかった。搬送は使えそうなものをいくつかやったので、いろいろな方法が試せた。実際に自分が背負われてみて一番よかったのは、ハーネスを使ったものでした。しかし、普段山に登る時はハーネスは持っていないので、それ以外でよいものを考えてみたいと思った。ザイルを使ったものは、股の部分を工夫すれば大丈夫だと思った。

1)西牧岳哉先生(大町北高校)

今年大町北高校に転勤してきて事務局となり、何もわからないまま登山研修交流会を開催させていただきました。と申しましても、ほとんど開催地木曽の大西浩先生やその他何人かの先生方のご尽力で有意義な二日間を過ごせたことを感謝しております。

一日目の17時からは背負い搬送実習を行いました。私自身山岳部顧問としては16年目ですが、幸い生徒を背負って降りるという事態は経験しなくて済んでいます。しかしいつ何が起こるかわからないのが登山。今回の実習は大変ためになりました。カッパを使った方法、ザイルを使った方法、さらしを使った方法、ザックを使った方法などいろいろ体験したのですが、「この方法が一番」という決定的なものはなかったと思います。やはりできる限りいろいろなものを携帯し、現場の状況に合わせて判断するということでしょうか。それと、60kgの大人を背負うことがいかに大変かということも実感しました。日頃から足腰を鍛えておくことの重要性を痛感しました。野沢南高の生徒さんの高橋君のように軽ければ何とかなるのですが、体格の良い男子生徒となると非常にきついなあと思います。

19時頃からはロープワークの基本を行いました。私の場合20年ほど前に研修したことを思い出しながらやってみたのですが、忘れてしまっていることが多く、「ああそうだったか」といった具合で大西先生や小林國先生などの助言なしでは動けない状態でした。日頃の研修不足を痛感した次第です。

21時頃からは木曽高定時制の教頭先生である花井先生の講演でした。花井先生は私が以前木曽高にいた時にお世話になった先生です。専門は物理なのですが、天文・気象分野の大家でもあります。皆既日食を見るためにわざわざ海外まで出かけられるという熱の入りようです。今回の講演はとても印象に残る部分が多かったのですが、特にわかりやすかったのが、「低気圧などの範囲が横には1,000kmくらいだが縦にはたった10kmくらい。板にたとえると厚さ1cm,幅が1mだということです。大気の固まりがこのような薄い板のようなものだから、そう簡単には混ざらない。」ということでした。そのほかにも高層天気図の見方も初めて教えていただき、地上天気図よりも更に詳しい情報が得られることに驚きました。

22時頃から始まった交流会ではキムチ鍋。これが旨かったです。下岡先生の腕前には恐れ入りました。ボリュームもたっぷりで何度も何度もおかわりさせて頂きました。ちなみに次の日の朝は、このキムチ鍋の残りにうどんを入れたものでした。これもグッド。朝からうどんのお代わりをする人続出でした。下岡先生有り難うございます。おいしゅうございました。一日目最後の実習はツェルトによる露営体験でしたが、・・・済みません。大西先生達がツェルトの張り方を実演してくださっていたのを覚えていますが、ほとんどみんな酔っぱらっていました。

二日目は絶好の山日和の中を児野山に向かいました。私は4年間木曽高の定時にいたのですが、ここを歩くのは初めてでした。懐かしさを感じながら木曽高を出発し、気持ちよく登りました。途中、大西先生が「ここはどこでしょう」などと言ってくださるので、その都度地図を確認していきましたが、常日頃と同じように登っていたら自分の場所を見失っていたことでしょう。それと老眼の始まりでしょうか、二万五千分の一の地図が読みにくくなってきて中高年登山の対策として拡大地図も必要かなと思いました。

下山路では一日目に実習したロープワークをやりました。またしても日頃の経験不足が出てしまいました。自分を確保したところまではよいのですが、確保した立木から自分までの距離が長く、しかも足場が良くない。野沢南の塩川先生を確保を行った時に自分が転びそうになってしまうという失態でした。「そういえば昔教わったなあ」とだいぶ過去のことを思い出したのですが、人間は忘れるものですね。

そのあとの下りでは戦国マニアの私としては興味深い福島城の跡。古城の跡を訪れるといつも感心するのですが、昔の人はよくこんな山奥に城を造って、しかも大軍に攻められてよくこんな狭いところに籠城したんだなあということです。木曽義仲の末裔といわれる木曽義康・義昌の時代の城跡でした。詳しいところまでは知らないのですが、武田晴信はこの城を攻めたんでしょうか?木曽の城は攻め落とされる前に、降参したというような記憶があります。最後に搬送訓練。昨日の実習を活かして・・・しかし専ら野沢南高生の高橋君を背負ってみました。サラシを使ったところ意外とうまくいかなくて少し不安になりました。この時ハーネスを使った搬送が一番具合良かったと思います。しかし、軽い高橋君といえども男子高校生の搬送には足に大きな負担がかかりました。

私にとって二日間懐かしい木曽で過ごせたのは良い経験でした。ついでに車屋のそばも食べて、さらに贄川のSSにも寄ったりして、木曽の4年間をゆっくり思い出すことができました。このような機会をつくって頂き、本当に有り難うございました。

編集子のひとりごと

会を企画したものとしてはうれしい感想です。最初は人が集まるか心配でしたが、「木曽」でやったこともよかったのかなと安堵しています。大勢が集まって「ああでもない、こうでもない」と交流できたことが何よりよかったと思っています。(大西 記)