不定期刊行 第284号 2008.12.28中信高校山岳部かわらばん 編集責任者 大西 浩
木曽高等学校定時制
高校山岳部の活性化を考える 1
以下に掲げる小論は、私自身が書いたものだが、
はじめに
私は、およそ四半世紀前に高校の教員になった。そのころまで、山国信州の高校には多くの学校に山岳部が存在し、山には若者たちの声がこだましていた。当時は、もっと山が身近なところにあった。しかし、登山をめぐる社会の状況も大きく変化した。この間、世の風潮に合わせるように、高校生気質も大きく変わり、いわゆる3K(きつい、危険、汚い)の代表の如き「山岳部」の門をたたく生徒は減少、今や絶滅危惧種であるかのような感さえある。こういった状況の中、学校現場のありようや指導者の側の意識も随分変化してきた。
私が関わってきた中信地区の山岳部という限定つきではあるが、この間の高校山岳部の流れを振り返りながら、これからの「高校山岳部」の活性化に向けて、若干の考察をしてみたい。
上高地のベースキャンプと学校登山
およそ三〇年前、私自身の高校生活は山岳部に所属してのそれではなかったが、夏の思い出は、「山」と切っても切れないものがある。大鍋をくくりつけた特大のキスリングを背負い、ニッカボッカに登山シャツ、重登山靴に身を固めた山岳部の友人たちが山をめざす姿は、私にとって、凛々しくまた眩しくもあった。
彼らが、OB諸氏と夏の間開設する上高地のベースキャンプ(以下BCと記す)を、山岳部に所属していない私は、クラス登山で訪れた。一年次は徳本峠を越えて、二年次には涸沢へのベースとして。
そこは山への入口としての役割を担った文字通りのBCであった。当時の上高地小梨平は、私の母校の他にも中信地区のいくつかの高校や信大を始めとする大学山岳部がBCを建設しており、まさにBC村の様相を呈していた。私のような山岳部員でない高校生も、夏中そこでテントキーパーをする山岳部の生徒と交流をする中で登山に目覚めたのである。
当時は長野県内の多くの学校で「学校登山」が行なわれていたが、この行事は今や虫の息といった状態であり、大北地域のいくつかの学校で続いているだけである。今も残る大町高校の「全校登山」に代表されるそれは、まさに山国信州ならではの行事であったのだが・・・。
大町高校の「全校登山」が、未だに途切れることなく連綿と続いている大きな理由として、山岳部OB会の存在が挙げられよう。全校生徒がいくつものコースに別れて北アルプスの山々に登るのだが、どのコースにも引率の教師のほかに、山岳部のOBがサポートに就く。北アルプスのお膝元ならではの伝統だ。
こうして考えてみると、この「上高地BC」といい、「全校登山」といい、「山岳部」の学校の中におけるステータスの大きかったことが見て取れる。
学校登山の衰退と軌を一にするように、上高地の「BC」も、一九九〇年代以降は急速に利用者が減り、その使命を終えた感もあったが、規模を縮小する中で、なんとか存続してきたのが深志高校と県ヶ丘高校のそれであった。しかし、最後まで残ったこの二校の「BC」も二〇〇三年を最後に撤退を余儀なくされたのは、一つの時代の終わりを告げるできごとであった。(以下次号へ続く)
山岳総合センター講師講習会のお誘い
1月24日、25日に行われる山岳総合センターの講師講習会に参加しませんか。センターの冬の講習会は、「雪崩」を命題にここ数年ずっと積み重ねられてきました。今年も鹿島槍を望む黒沢尾根を実習地として、「講師としてまたは山岳関係のリーダーとして、雪質観察や埋没者の捜索救出訓練・搬送訓練をどう展開したらよいか検討することを通して、講師としての資質を高める。」ことをねらいとして開催されます。
申し込みは、はがき・ファックス(電話で確認してください)またはE−mail(用件を必ず記入のこと)で長野県山岳総合センター所長あて1月19日(月)までに、申し込んで下さい。内容の詳細、申込方法はセンターHP、長山協HPでご覧下さい。
編集子のひとりごと