不定期刊行            285号  2008.12.28中信高校山岳部かわらばん     編集責任者 大西 浩

木曽高等学校定時制

高校山岳部の活性化を考える 2

大学入試制度改革と技術水準の低下

高校山岳部のメインの活動は、夏休みに行う「縦走」と「合宿」というのがかつての通例であった。一九八〇年代前半までは、多くの学校の山岳部が四泊五日程度の縦走と三泊四日程度の合宿を計画実施し、夏休みに一〇日前後は、山に入っていた。そして、三年生はこの夏の大仕事を終えてから、卒業後の就職や進学に向けての準備にとりかかったものである。

ところが、一九七九年から大学入試制度が大きく変わり、国立大学の一期校、二期校が廃止され、一月に共通一次テストが導入されることになった。それまで国立大学の入試は三月であったものが、二ヵ月前倒しになり、高校現場では、文化祭や行事の位置の見直しが行われるとともに、夏休みの過ごし方も大きく変わらざるを得なくなったのである。この影響は、部活動はもちろん学校登山にも及び、徐々に日数の縮減や縦走・合宿の整理・一本化などへと進んでいく。

後述する「中信安全登山研究会」の調査によれば、現在でも夏休みに縦走と合宿の両方の活動を行っている山岳部は存在しない。中には三年生は六月に行われる県高校総合体育大会登山大会(以下県大会と記す)で引退し、三年次の「夏山」には参加しないという学校も出てきているようである。

一九八三年六月、「県大会」終了後に豊科高校の生徒が前常念岳で滑落死亡するという残念な事故が発生してしまった。高体連登山専門部では、これ以後、二度とこのような不幸な事故を起こさないために、県大会会場については雪上での開催を自粛してきた。

県内の高校生が一堂に会しての県大会は、高校登山のスタンダードを試される場とも言うことができる。事故を起こさないというのは、当然のことではあるが、年に一度のこの大会が雪上で開催されなくなったことで、大会で要求される技術レベルを下げる結果になったのは否めない。

県山岳総合センターでは開所以来、五月の針ノ木雪渓で「高校登山研修会」を開催してきたが、往時は全県からの参加者が殺到し、参加制限をするほどの盛況ぶりであったが、今は継続が危ぶまれるほどの人数しか集まらない。ここでの研修内容である雪上技術、ロープワークなどは、かつての高校山岳部の生徒ならば一通り身につけたであろう登山の基本技術だが、これらを身につける絶好の機会が活かされていないのは、県大会で要求されるスタンダードレベルが下がったことと無関係ではないと思われる。

また、一九九〇年代初頭までは、一二月の下旬の五龍遠見尾根や八方尾根には複数の高校の山岳部が二〜三泊程度で入山して冬山訓練をしていたが、これも今ではほとんど行われていない。

山岳部員数の推移激減期を経て安定期へ

私は、一九八二年に高校教諭となったが、南信東信の高校の勤務を経て、一九九二年に美須々ヶ丘高校の「ワンダーフォーゲル部」の顧問となった。「山岳部」という名前では生徒が集まらないと前任の顧問が苦慮の末、「山岳部」からややソフトなイメージの「ワンダーフォーゲル部」へと名称変更した直後のことであった。

その後一九九九年に、木曽高校に異動して現在に至るまで「山岳」関連の部活動に関わり、高等学校山岳連盟登山専門部(以下「高体連」と記す)の委員をも務めてきたが、一貫している課題は、「部員をいかに確保するか」ということであった。「中信安全登山研究会」の調査(資料1)によれば、一九七七年から二〇〇七年までの間で、この地区の山岳部の生徒が一番多かったのは一九七九年の一三校一七二人であった。今年二〇〇七年には、中信地区には九校一〇課程の高校に、山岳関連の部活動が存在しており、所属生徒数は七七人である。

山岳部の活動華やかなりし三〇年前との比較で、数においては明らかに減少をしており、一九九二年に一〇〇人を割り込んでからはその水準に届くことはない。かつては二〇人以上の部員を擁している学校も多かったが、近年は一桁(それも前半)という学校が多くなっている。

しかし、ここ一五年間は、一〇〇名には届かないものの、六〇から九〇名程度のところで推移している。実際はこのあたりの数字が底値で、少ないながらも安定していると見るべきで、毎年一定数の山岳部の生徒は確保できていると前向きに評価したい。

また、山岳部の数は一九八三年から一九八五年の一四校が最多であるが、この三〇年間平均すれば一〇校程度の学校で常時山岳部の活動は命脈を保ってきている。(資料2)学校に「部」が存続し、やる気のある顧問と生徒がいさえすれば、山岳部の再生は可能である。(以下次号へ続く)

編集子のひとりごと

冬休みにはいり、テレビは年末の低俗な番組ばかりで辟易。見る気もないまま、リモコンをいじっていたら、突然「青海西蔵鉄道」の緑の列車、バックには美しい山が画面に映し出されていた。BSで「第3の極チベット 天空への道」という番組をやっていた。懐かしい「青海省」や「西蔵自治区」の美しい映像が次から次へと展開した。途中からだったが、惜しいことをした。荘厳な山や自然、五体投地で拉薩をめざす巡礼の姿、思わず見入ってしまったことだ。また行きたいなぁという思いが沸々と。(大西記)