不定期刊行            296号  2009.03.10中信高校山岳部かわらばん     編集責任者 大西 浩

木曽高等学校定時制

二度と不幸な事故をおこさないために

大町北高校の西牧岳哉先生から次のようなお誘いの文章が送られてきました。中信地区の高校の山岳部の顧問のところには届いているかと思います。私自身は、20年前に発生したこの事故については思いが複雑でもありますが、しかし「二度と事故をおこさないという思い」を新たにするということに異存はありません。中信地区以外の方でも共感される方がいましたらご一緒にいかがでしょうか。以下お誘いの文章を紹介します。

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大町北高校で山岳部の顧問をしている西牧岳哉と申します。

1989年3月18日に長野県山岳総合センター主催の「冬の野外生活研修会」で講習中に雪崩が発生し、当時松本蟻ヶ崎高校教諭の酒井耕先生が亡くなりました。事故から早くも20年が経過しようとしています。

そこで、3月15日(日)に関係者と共に現場に赴き慰霊をすることを計画しました。亡くなった酒井先生のお母さんや蟻ヶ崎高校の山岳部OGの方も参加される予定です。

山に興味ある生徒が将来雪崩の犠牲にならないために、過去の雪崩事故についての勉強会も兼ねて本校生徒も何人か現場に連れて行こうと考えています。

現場は、五竜遠見スキー場の最高地点から歩いて5〜10分ほどのところです。事前に大雪が降っていなければ、本格的な登山の装備がなくても、スキーウェア等の支度で行くことができます。

日程はおよそ以下のように考えています。

 3月15日(日)

  9:15            五竜遠見スキー場ゴンドラリフト乗り場集合

  9:30            ゴンドラリフト下車:最終リフト乗車

  9:50            雪崩事故現場着 慰霊

 10:30頃    現地解散(生徒はボードやスキー)

荒天の場合は、実施不可能なので中止いたします。

当日現場に足を運んでみたいという先生方または生徒がいらっしゃいましたら、是非ご参加ください。連絡なしでの飛び入り参加もOKです。

連絡は大町北高校(電話0261-22-0149)の西牧岳哉先生までお願いします。

年報について長年の苦労が少し報われました

 今年32号を発行した中信高校山岳部年報ですが、この年報をめぐって二つのうれしい出来事がありました。一つは長年広告を出していただいている常念小屋の山田さんからのご厚意。年報の発行直後に広告を出してくれている企業に毎年広告代を頂戴しに伺っているのだが、山田さんからは「毎年ご苦労だねぇ。」というねぎらいのことばとともに、例年の倍の広告費を出していただけることになった。「高校の登山で小屋を使ってくれるのは、今は大町高の全校登山だけになってしまったが、そこで登山をした彼らの何人かが将来来てくれれば、それだけでもありがたいこと。」とも。小生は学生時代、常念小屋でバイトをして山田さんには随分とお世話になったのだが、すでに30年以上温かく接していただいている。感謝、感謝。ちなみに関係ないが、大学一年当時の常念小屋の日給は2800円だった。以後一年に100円ずつアップしたが・・・。一方同じ広告主の「槍ヶ岳山荘」の穂苅さんからは、「夏の学生アルバイト(従業員も募集しているそうだ)を紹介してほしい」と頼まれた。5年前当時大学一年だった愚息もお世話になったが、もし大学に行った山岳部のOBなどでそういった希望があればいつでも取り次ぐので、遠慮なくどうぞ。

そしてもう一つは中信高体連の理事長の有賀先生からのありがたいお話。1月に高体連の理事長と各種目の専門委員長との間の予算折衝のヒアリングが行われたが、「専門部として伝えたいことがあればお聞きしますよ。」とのことだったので、過去32号の年報をすべて持参して紹介し、今年度号と30年記念号は実際にお渡しした。この年報、今は「中信高校山岳部年報」の名前で発行されているが、1号(1977年発行)から20号までは、「中信高体連登山部年報」の名前で発行されていたものである。それが、私が以前専門委員長をしていた1995年、突然中信高体連のT理事長より、「高体連の許可なく高体連の名称を使っていること。広告をとって発行している」といういわれのないクレームをつけられた。そもそもこの年報は第1号より「中信高体連登山部」の名前を使い、広告についても生徒への負担がないようにと顧問がみんなで手分けしてお願いし第2号より協賛をいただいて発行してきたものであった。そしてT氏が理事長になる以前は、高体連から補助金ももらったりしながら発行してきたものでもあった。そんな経緯を知っている当時の山岳部顧問はみな、T氏のクレームに対し憤ったが、「名称にこだわるより実質的な形で存続した方がよい」との大人の感覚で、以後顧問会として「中信高校山岳部年報」の名前で発行してきたものだ。そして高体連に対しては、取り扱い注意(これではまるで戦前の非合法組織のようだが・・・)で対応してきたものだが、あれから15年近く経った。山岳部のない白馬高に転勤した松田さんが専門委員長を続けることについて、山岳部顧問以外が専門委員を務めるのはまかりならんという高体連からの圧力とその末のすったもんだなどもあった。結局顧問に体育の教員が少ないが故、「高体連」という組織の中で、なかなか「山岳」の特殊性をわかってもらえず、当時は高体連との関係は必ずしも良好ではない部分もあった。今回はこれまでのいきさつもすべてお話した上で、登山部としてこの年報の果たしてきた役割等をお伝えしたところ、「これはすごい資料だ」と評価していただくことができた。

結果・・・うれしいことに来年度からこの年報に「とりあえず、まずは」ということで「2万円」の補助をしていただけることになった。これまで広告料と生徒・顧問の自己負担で印刷製本費にあててきていたが、生徒減や原料費の高騰などから一人あたりの負担額も増えてきた中でのこの措置はありがたいことである。感謝、感謝である。

編集子のひとりごと

今号の二つ目の話題に関連しては、もう一つ朗報。ここ5年間中信安全登山研究会が自主的に続けてきた「登山技術講習交流会」(今年度は11月に木曽で開催)についても、高体連の講習会規定にあうということで、こちらも補助金をいただけることになった。金額以上に「やっていることを認めてもらえた」ことが嬉しいことである。(大西記)