不定期刊行            298号  2009.04.10中信高校山岳部かわらばん     編集責任者 大西 浩

木曽高等学校定時制

剱岳「点の記」を試写してきました

木村大作監督によって映画化された「剱岳――点の記」が6月に公開される。公開に先立って試写会の招待券をいただいたので、先ごろ鑑賞してきた。木村監督はもともとカメラマンで、「八甲田山」などで撮影監督としてキャリアを積んできたいわば「映像」撮りの専門家だという。その木村氏が50年の映画人生をすべてかけ「最初で最後の監督」という思いをもって臨んだのがこの「剱岳点の記」だそうである。原作は、地図の空白地帯を埋めるべく行われた明治40年陸軍陸地測量部の測量官「柴崎芳太郎」と剱岳長次郎谷にその名を残す「宇治長次郎」による剱岳への登頂という史実に基づいた新田次郎の小説である。

そもそも「点の記」とは三角点設定の記録のことである。一等から三等までの各「点の記」があり、その記録は明治21年以降永久保存資料として、国土地理院に保管されている。しかし、そこに到るまでが険しすぎたため資材を持ち上げられず結果的に四等三角点にせざるを得なかった「剱岳」山頂の「点の記」は実在していない。

公開に先立っての試写会は全国すべての都道府県で現在行われている(長野は33番目だそうだ)が、木村監督が手弁当でそのすべての会場に足を運び、PRに努めていると言うことで、先日長野で行われた試写会にも監督が見えて自分の口でこの映画を語ってくれた。PRの仕方で映画の評価が定まるような風潮に対し、自らの思いを自らの口で語ることでこの映画のよさを伝えたいという木村氏の思いがひしひしと伝わってきた。山岳映画カメラマンとして経験を積んできた目で捉えた本物の「剱」を表現するために、一切の妥協をしないという決意で臨んだこの映画は、最近の山岳映画には珍しく、CG,空撮は全くない。それだけに、そこに映し出される映像は、真実味にあふれ厳しくかつ魅力的だった。

さて、内容に関わって私が観た印象を若干述べよう。史実に基づいているとはいえ、もともと小説である。オリジナルの小説にも多分にフィクションの要素が織り込まれているが、小説にもない映画のラストの剱岳を望む場面はいかにもとってつけたようで安っぽくしてしまった印象がした。また、途中の雪崩の場面も山を知っているものからするとなくてもよかったと感じた。監督の意図はあの場面を入れることで剱の厳しさに迫真性を加えたかったのだろうが、あんなに簡単にデブリの中から出て来られるわけがないし、掘り起こせるはずもない・・・逆にちょっと甘くなってしまった気がした。さらにもう一つ、原作にない(と記憶している・・・が定かではない・・・)長次郎と彼の息子との心の交歓もイマイチ言いたいことが伝わりにくいように感じられた。

やや辛口の評をしたが、しかし冒頭述べたようにさすがカメラマン上がりの監督、映像からは「剱」の魅力は十分伝わってきた。またキャストの中では、香川照之扮する宇治長次郎に好感をもてた。試写会に先立っての挨拶で木村監督自身が「この映画は観た人に必ず何かを感じて頂ける映画」と言っていたが、私は「何のために剱の頂上に立ったのかを自問する主人公柴崎の姿にアルピニズムの原点を感じさせられた。

山頂からの大滑降満喫「御嶽」

3月30日御嶽でスキーをしてきた。同行者は信高山岳会の宮本義彦さん(元中野実業高)と横内佳代さん(塩尻志学館高)の二人。例年より雪が少なかったが、その前の週の寒波襲来でちょうどいい具合の雪の状態であった。三岳のロープウェイスキー場最上部から樹林帯を約1時間、そこから広いルンゼ上の大斜面を2時間あまりで三岳頂上に到着した。最後は結構凍っている急斜面で緊張した(写真参照)が、クトーの威力絶大。山頂までスキーで登ることができた。

テキスト ボックス: 中央アルプスを望みながら一休み平日ではあったが、我々のほかにも何パーティかが登っていた。山スキーあり、ツボ足あり、アイゼンあり、スノーシューあり、ボーダーありとそれぞれが多彩な登り方で頂上を目指しているのが印象的だった。頂上からの眺望をほしいままにしたあとは、思い思いのシュプールを描きながらの大滑降。登りの苦労が大いに報われる楽しいひと時だった。

ライダース イン ザ スカイ 40周年記念号

吉田光二さんから、新潟県立三条工業高校(現在は統合の結果、県央工業となっている)山岳部の創部40周年の記念誌を送付していただいた。標題の「ライダースインザスカイ」とは新潟県立三条工業高校山岳部の部歌であり、同時にOB会通信の名称だそうだが、その通信第1号が発行されたのは1972年だとのこと。40周年記念号を繰ってみると、このOB通信はOBと現役を繋ぐものとして年に1回から3回程度これまで63号、近年ではこれに加えて、メール通信も発行されてきたということが書かれてある。三工といえば小生にこの記念誌を寄贈して下さり、自らも三工山岳部のOBであり長く顧問を務めている吉田さんの名前がすぐに思い出されるが、当然ながらこの書も吉田さんの手になるものだ。

創部以来40年途切れることなく部活動が継続され、インターハイに20回出場、入賞5回という輝かしい成績を収めてきた三工山岳部のバックグラウンドを改めて知らされた感じである。編集後記に吉田さんは次の一文をしたためている。「この間、インターハイで入賞もし、全国的にも名を売りましたが、何よりの『財産』は、それに関わり、支え、受け継いできた部員と顧問の人間的なつながりです。」と。40周年の重さをずっしりと感じる一冊であった。

編集子のひとりごと

今年はどこに行っても絶対的に山に雪が少ない。そんな中、先週の日曜日、栂池・白馬乗鞍で第5回全日本山岳スキー選手権大会が行われた。大会については色々な意見もあるが、出場した選手たちが喜んでくれ笑顔を返してくれるのは関わったものとしては率直にうれしい。選手たちは我々以上に大会を楽しみにしているようである。(大西記)