不定期刊行            299号  2009.04.18中信高校山岳部かわらばん     編集責任者 大西 浩

木曽高等学校定時制

山岳総合センター「高校登山研修会」(5/16・17)に参加しよう

今年から山岳総合センターの専門主事が中嶋岳志さんから傘木靖さんに替わった。中嶋さんの時代には高校登山に関してはクライミングの部分で、いろいろお世話になった。中嶋さんのセンターでの最後の仕事は、ここ数年開拓してきた「高校生練習用岩場」と「ボルダー」をまとめてセンターのホームページにアップするとともに、県内の山岳部各校に送付してくださるという画期的な仕事(かわらばん297号で報告)だった。中嶋さん自身は長山協ジュニア委員長として、今後もこの事業を継続していってくださるので、高校現場に身を置くものとしてさらにその活動をバックアップしながら、その成果についてはありがたく享受、高校生の積極活用へとつなげていきたいと思っている。

さて、新しく主事になった傘木さんは、中嶋さんの前任の加々美隆さんと同じく、奇しくも小生の高校の同期生であり、高校時代から山岳部に籍をおいていた。彼とはこれまで長山協の指導員会のイベントなどでちょくちょく顔をあわせてきたが、「高校登山も含むジュニア層への登山活動の普及」と言うことについてなみなみならぬ思いを持っておられ、最近は顔を合わせるたびに話はいつもその方向に進んでいった。今年2月、日山協が始めて「ジュニア普及情報交換会」を行ったが、その時も小生と二人で長野の代表として出席してきた(295号で報告)。この会議を受け、長山協としてのジュニア層への登山の普及についても、今年度は一歩を踏み出す企画をしたが、先に行われた長山協定期総会においても了承された。今後に期待!

ということで、これまでのよかった点は継承しながら、また違った取り組みも加えつつ、高校生も含むジュニア層の育成・登山について、センターとはこれまで以上に手を携えていければと思う。なお、センターで直接お世話になることの多い山口憲夫所長と古幡和敬さんのお二人については今年も異動はなかったので、あわせてお知らせする。

さて、今年のセンター高校登山研修会について、締め切りが迫ってきている。毎年行われているこの研修会、今年は5月16日、17日の2日間、会場は針ノ木である。これまでは2泊3日の予定で行われていたが、参加者の便を考えて昨年度から日程を土日の2日間にしている。この土日は、長野県内各地区の高体連大会が開かれるはずである。その点で、登山大会を行っている南信以外は、研修会に参加するには好条件だと思う。県大会の時期も迫っていることから、この土日を使っての県大会の下見を考えている学校もあるかと思うが、今年の会場の黒姫山は過去の経験からいうと、5月の後半に急激に融雪が進むため、あまり早い時期の下見は意味がないと考えられる。それよりは、この時期にセンターの研修会で「登山技術」をしっかり身につけた方が時宜を得た対応だと思う。5月22日、23日に県高体連登山専門部の専門委員による県大会会場事前下見が行われるので、その情報を待って、県大会の下見に入るというのがよいと考えるがいかがだろうか?

より多くの学校がセンターの「高校登山研修会」に参加されることを希望します。要項は3月中に各学校に届いているはずなので詳細はそちらでご確認を。

中信高体連総会報告・・・登山専門部への補助金本決まり

先日中信高体連の総会が深志高校で行われた。その席で、議論された登山に関する部分をお知らせしたい。

まず中信新人大会については、9月18日(金)、19日(土)の2日間、木曽町城山一帯で開催。初日は木曽青峰高校新開キャンパスを本部に木曽町福島の「城山」でオリエンテーリング競技、翌日は御嶽にて交流登山を行う。木曽での中信大会は2004年度に木祖村で開催して以来5年ぶりのこと。小生が木曽に籍をおくのも恐らく今年が最後、木曽青峰高校(旧木曽山林高校)の学有林とその背後に広がる城山に中信地区の多くの高校生が集まっての大会運営に力を注ぎたい。

二つめは、これまで安全登山研究会を中心に自主的に運営してきた「登山技術研修交流会」について補助金申請をしたこと。実施した場合、高体連より補助金として1万円が支給される。昨年のこの会は、今年の中信大会の会場になる木曽町城山、木曽高校同窓会館を使って開催した。中信以外からも多くの先生に参加していただき、生徒の参加もあった。講師や場所は毎年みんなで持ち合いながら行ってきたが、今年度は松本近辺で松田さんに講師をしてもらうことが決まっている。例年の通り行うとすると11月14日(土)、15日(日)あたりに開催することになりそうである。ぜひ今のうちから予定に入れておいていただきたい。もちろん、中信以外の方の参加も大歓迎。

そして3点目、「中信高校山岳部年報」に対して高体連から正式に認知され、補助金として2万円を予算化して頂いた。このことについては、中信の山岳部の先生にしかわからない部分もあるが、実に画期的なことである。創刊号(1977年)以来20号(1996年)まで、この年報は「中信高体連登山部年報」の名で発行してきた。ところが、第19号発行直後、ときの中信高体連理事長より、「高体連の許可無く、高体連の名称を使っていること。広告をとって発行していること。」の二つの理由から年報発行についていわれのないクレームをつけられた。山崎佐喜治先生がそれまでご苦労されて編集されてきたが、赤羽康定先生へと編集がバトンタッチされることが決まった直後でもあった。それまで19年間続いてきたこの年報は19年続いてきたということ自体がすでに既成事実であり、広告についても生徒の実費負担軽減ということで、顧問がみんなでお願いして2号から掲載して広告費を頂戴してきたという経過もあった。そして、何より中信地区の山岳部の「安全登山」に大きく貢献し、同時に一つの文化的財産でもあった。当時の山岳部顧問は、みな憤ったが、「名称にこだわるよりも実質的な形で存続した方がよい」との大人の感覚で、20号については標題・内容は変えずに発行者をそれまでの「中信高等学校体育連盟」から「中信高校登山専門委員会」へと変えて発行した。しかし、件の理事長はそれに対してもクレームをつけてきたので、21号からは発行者は「中信高校山岳部」標題は「中信高校山岳部年報」と変えて、今日まで発行して来た。19号、20号発行の当時、小生が専門委員長をしていたこともあり、高体連理事長から理事会などの場面でも詰問され、かなり苦しい思いをしたことは決して忘れることはできない。そのことを思うと補助金までもらえることになろうとは、隔世の感、感無量である。

編集子のひとりごと

新年度各校新入部員は加入したでしょうか。センター研修会で会いましょう。(大西記)