不定期刊行            305号  2009.07.13中信高校山岳部かわらばん     編集責任者 大西 浩

木曽高等学校定時制

中信安全登山研究会を7月7日に開催

今年度の標記会議を7月7日に開催し、学校登山及び山岳部の合宿縦走計画について多面的な検討をした。出席は小林大町北校長、事務局の西牧(大町北)、白馬(浮須)、今滝(大町北)、大西英(志学館)、大西浩(木曽)の5名。小林校長からは「長野県に住んでいる子ども達に長野県の良さを知らせたい。また安全に登山をするというのは、学校の責任でもある。そんな観点から、熱心な討議をお願いしたい。」との挨拶があった。

学校登山は白馬、大町北、大町の3校で計画。白馬はガイドをつけ3コース、大町は山岳部OB会がサポートして全校8コース、大町北は経験ある西牧、今滝、藤岡が中心に立案した1コース、とそれぞれ実情に合わせて三者三様。そこでは、保険のことや生徒の負担金額の多寡などが話題となった。なお、白馬岳について、安全面に配慮して、「大雪渓」コースが計画されていなかったが、これはここ数年のひとつの傾向であり特筆すべきことかもしれない。

山岳部の活動では、大町が「雲の平」方面で4泊5日、志学館が「穂高」方面で3泊4日の日程を組んでいた。その他の学校も今年度については、山域はいずれも北アルプスで、槍(木曽青峰・大町北)、常念(美須々)など。それ以外の学校からの資料提出はなかった。総じて多くの学校が日程、ゆとりのないかつかつの状況(1泊もしくは2泊)の中での立案で、一日の行動時間がやや長い計画も散見された。また全体の議論の中で、今年は残雪が多いことが挙げられたので注意してほしい。

「高校生に夢を!」 その3 新疆での動乱と偵察の行方

304号のかわらばんを送ったまさにその翌日に報道された新疆ウイグル自治区でのウイグル族と漢族の民族対立に端を発した動乱は、訪中を間近に控えた僕にとって大きな衝撃であった。ヌルさんとは6日から直接連絡がとれなくなっており、メールも電話も通じない状態である。

実は僕はヌルさんから少しまとまったお金を預かっている。彼は一年前に日本に来るとき、何かあったときのためにと、所有していた車を処分してお金に換えて持参したそうだが、結局日本では使わずじまいだったそうだ。それがこのお金なのだが、帰国するにあたり「ウイグル人がこれだけの金額を持って帰ると空港で疑われ没収されることが考えられるので、大西さんが訪中するときに持ってきてほしい」と託されたのだ。また、帰国直後、僕らの偵察についてメールでやりとりをして打ち合わせをする中で、当初彼自身が務める予定だった連絡官を急遽、漢族に変えると連絡してきた。曰く「偵察山域は未解放地区で軍の検問を何カ所も通過するので、漢族の方がいいだろう」とのこと。こういった一連のことを考えると、今新疆でおこっている状況がある程度想像できるのだ。

ウイグル問題に限らず、中国の少数民族問題は根深いが、少なくともヌルさん自身は極めて親日の一般市民である。一番心配されるのはヌルさんの安否である。動乱が勃発して以来、報道されている通り、中国政府は新疆内の通信を完全にコントロールし、国外との通信については電話もインターネットも繋げない状態にしている。だからいつ電話しても「話中」である。そんな訳でヌルさんとどうしても連絡がとれないので、いくつか別の筋からの連絡を試みていたのだが、ヌルさんが無事であることが確認できたのは9日の午前中のことだった。

かつてお世話になったことのある「振宏」(西安在住で新疆出身のガイド)氏からの連絡で「大西さん、ヌルは元気でした。心配要らない。でもね、何があるかわからなくて、こわいのでここ3日間は自宅から外へは出ていないということだったよ。」とのこと。まずは一安心である。ついでに登山申請について聞いてもらった結果を尋ねると「登山申請は旅游局、自治区政府では許可が出た。あとは未解放地区なので軍の許可待ちの状態だが、それも問題ないでしょうと言っていた。」とのことだった。しかし、現実問題として、さんは「一ヶ月くらいで沈静化するだろうが、それまではちょっと厳しいかな。ただし、今は双方かっかとしているが、いったん収まればある意味ガス抜きにもなるので今後20年は大丈夫。」とも。僕が「航空券の発券をギリギリ17日まで延ばして様子を見ているところだ。」と告げると「わかりました。そのあたりをヌルさんに連絡してまた取り次ぎますよ。」とありがたい返事をもらえた。

「うーん、そうか・・・」と考えているところへ、今度は北京在住で中国登山協会の通訳「李豪傑」氏から電話が来た。「大西さん、ヌルさんは元気でしたが、北京の登山協会としての感触では山へ行くのは今の状況では難しいと思います。」とのこと。信頼できる2人からヌルさんの安否が確認でき、まずは一安心ではあるが、さて問題はこのあとだ。さはさりながら、現実問題をどうすべきか。事態はどう推移するのか?報道は完全に統制されている。建国60周年の記念行事を秋に控えて、中国政府は事態を沈静化するためにどのように対応するのだろうか。

ちょうど20年前の1989年、建国40周年の年に起こった天安門事件を思い出す。あの事件は、一年に及ぶ練成を積んで準備をしてきた「第2回訪中登山交流会」を直撃した。臨時に招集された隊員会議。あのとき、出発を直前に控えた「第2回訪中登山交流会」に参加していた高校生たちが一人ずつ述べた「中国へ行きたい」という決意を僕は忘れないし、その行きたいという思いを「安全面から中止せざるを得ない」と説得した隊長の飯沼さんと秘書長の杉山さんの本当に苦渋の決断を告げた場面を、今も僕はありありと思い浮かべることができる。20年経って、また同じ場面に直面しようとは・・・。

編集子のひとりごと

「チャンスは前髪でつかめ。」そういった矢先の突然のできごとに、困惑・呆然としているというのが本当のところだ。現地新疆ウイグル自治区の様子がわからないだけにもどかしさが募る。長野県山岳協会はチベット登山協会との友好協定締結20周年を記念して一緒に進めていたチベットの7000mの未踏峰「トンシャンジャンプ峰」への遠征を昨年、白紙に戻した。3年前に柳澤会長と小生がチベットを訪れ、好感触を得て帰ってきたのは一体なんだったのかという思いも残る。もちろんこの計画については、長山協側にも推進役が出てこなかったなどいくつか反省材料はあるものの、オリンピックを前にしたチベット情勢の変化なども大きかった。いずれにせよ「中国」という国との付き合い方の難しさも感じさせられる一件だった。今回もまたの思いが強い。(大西 記)