不定期刊行            315号  2009.08.30中信高校山岳部かわらばん     編集責任者 大西 浩

木曽高等学校定時制

静岡県の合同合宿・・・黒川勝先生の報告

大西先生お久しぶりです、静岡の黒川です。いつもかわらばんを楽しく読ませてもらっています。北アの様子をということで夏合宿のレポートをさせていただきます。私ごとですが今年の3月に定年退職して現在は講師となりワンゲル部の副顧問もしているという状況です。夏合宿は8/2〜6までで折立〜太郎平、薬師岳ピストン、黒部五郎岳、三俣蓮華、双六、新穂高温泉と小松工業さんとほぼ同じような行程です。メンバーは我々飛龍高校4名と隣の市立沼津高校5名及びOB、OG顧問など計13名でマイクロバスをチャーターして出かけました。2校はそれぞれテント泊、OB、OG顧問は小屋泊まりという形態です。

初日は雨が降ったりやんだりで雨具を付けたり外したりとせわしない登山でしたが、2日目以降は良い天気に恵まれ昨年(笠ヶ岳)とは打って変わって素晴らしい合宿になりました。立教大付属高校もテントを張っていました。薬師岳は360度の素晴らしい眺望に感動し、3日目の稜線歩きも昨年に比べて見違えるほど体力が付いてきた生徒と共に北アルプスを満喫できました。黒部五郎カールの雪渓では皆ではしゃいで写真を取り合いしました。4日目は三俣蓮華あたりから少し雲が出てきて槍方面以外は展望が利かなくなり、双六ではガスに覆われてしまった。

メンバーの中に高山植物に詳しい人がいて、双六のテント場周辺で観察会をやりました。5日目は弓折岳の雪田で雪に練乳をかけて食べていました。新穂高温泉ではバス停の前の温泉が水道の故障のため利用できず、平湯温泉に入ってさっぱり汗を流して帰りました。今回は最近になく長い合宿で(2泊3日が多い)無事に行って来られるか心配でしたが、みんな頑張って成功させることが出来ました。途中新潟の高校生、福島の女子高校の団体に会い、うれしく思いました。

野沢南高校山岳部 裏銀座コース顛末・・・塩川淳男先生の報告

8月1日から4日まで昨年表銀座縦走時に眺めた裏銀座コースで槍ヶ岳へ行ってきました。初日、出発時にトラブルから1名減で3名となり、急遽V3+エアライズ2からV6にテントを変更しました。また、出発時間の遅れから、松本駅→(大糸線)→信濃大町駅の予定も大町ダイレクトとなりました。高瀬ダムからのブナ立尾根は順調で、いくつかのパーティーを抜きながら烏帽子小屋直下で雨に降られましたが、13時には小屋に着きました。前回、大町高校時代に登ったときには簡素で静かな印象でしたが、小屋もきれいになり、大勢の宿泊者がいて驚かされました。まさか全員が明日水晶小屋や三俣山荘を目ざすとは思えないが、テン場の賑わいとともに意外でした。

 2日目は行動開始予定時間になっても雨が降っており、いつまでも状況見が続きました。4時ころ雨が小降りになったので予定通りのコースでの行動を決めました。しかし、初っぱなからカッパを着ての三ツ岳登りは雨で重くなった荷物とともに心にものしかかりました。雨の野口五郎小屋での休憩では小屋番のお兄ちゃんに大変親切にされました。(特に生徒)この後、東沢乗越から水晶小屋の間の長かったこと!前回の記憶が全くなく、連れて行ってもらう山行がいかにダメかを痛感しました。水晶小屋も改装されていて立派でしたが、人であふれていました。ここでも生徒は小屋のお姉さんから優しいことばをかけてもらっていましたが、「増水しているから黒部源流へは降りない方がいいわよ」という情報はもらえませんでした。(聞かなかったのが悪かったのですが)結局、時間短縮と疲労減少のために鷲羽岳を迂回したことが大誤算で、雨+寒さ+足場の悪さで生徒・顧問とも疲れ切って三俣山荘に着きました。

 3日目はいよいよ西鎌尾根です。天気は快晴で三俣蓮華岳・双六岳のピークからは360度の展望が味わえました。しかし、メインザックでの西鎌尾根は登りがいもあり、また千丈沢乗越までの難所も記憶にないという頼りない顧問でしたが、何とか登りきしました。槍ヶ岳小屋への到着では見ず知らずの方からも「がんばったね」のエールをもらい、まんざらでもなさそうでした。その日の登頂では雲が晴れることはありませんでした。

 4日目、上高地までの降りだけですが、朝食前に槍の穂先にリベンジしました。韓国の方を含む30名ほどでご来光を見ることができました。ちなみにテン場は一番小屋から遠く大喰岳が手に取るように見える特等席でした。横尾まで休息時間込みで4時間、上高地までは昼食時間を含めて7時間15分でした。(顧問記)

 「(前略)3日目は双六小屋までは良かったのですが、そこからの登りはこれからはずっと登りが続くんだなあと思いながら登っていくと、案の定とても大変でした。特に山荘までの最後の登りは急で長かったので疲れましたが、山荘が近くになってからはやる気が出てきて登りきることができました。槍ヶ岳の山頂は岩場で少し怖かったですが、そこからの景色はとてもきれいでした。(中略)4日間を通して比較的行動時間が長く大変でしたが、充実した登山でした。」(CL 橋くん)

編集子のひとりごと・・・明治14年の木曽谷模型

100有余年の歴史をもつ旧木曽山林高校にはお宝がいろいろある。統合により、今は木曽青峰高校となったが、統合した校舎に持ってこられない様々な貴重品が未だに旧校舎にはたくさんある。左に示した「木曽谷模型」もその一つ。記録によれば明治14年に上野で開かれた「第2回国内国勧業博覧会」なるものに出品されたものだそうだ(制作者は福島の児野嘉左衛門氏)が、木曽谷全体のかなり精確な鳥瞰図(1/13000)となっており、御岳、駒ヶ岳はもちろん木曽谷全体の地形が見事に彫刻されている。しかも素材はすべて「木曽檜」である。そのことも驚きだが、まだ陸地測量部の地図もない時代にあってこれだけ精巧な(一例を示せば御岳には「五の池」まであり、駒ヶ岳より僅かに高いなど)ものを作る技術があったことにも感服する。・・・これは博覧会後、伊勢神宮に奉納されたものだが後に福島営林署に移されたが、林業の衰退の中での同営林署の廃止に伴い、ただの薪になってしまう憂き目にあったのだそうだ。山林高校があったから、こんな貴重なものが残ったのであった。中信新人大会のときに来た方には見ていただけます。(大西 記)