不定期刊行            316号  2009.09.03中信高校山岳部かわらばん     編集責任者 大西 浩

木曽高等学校定時制

赤田さんの南極レポート その2

環境保全の仕事

環境保全部門では主に次のような業務を担当している。

・昭和基地、および野外活動から出る廃棄物の処理と管理

・排水浄化設備の維持管理と処理水質の管理

・野外観測拠点の廃棄物調査・回収、昭和基地周辺海域の海水サンプリングなど

また、49次隊の特異な点は帰国時に「しらせ」が就航出来ないため、持ち帰り物資量が大幅に制限されるという事だった。環境保全部門としても特定サンプル以外は持ち帰り出来ない、つまり廃棄物の2年越冬に備えなければならなかった。この課題に対して私がやろうと決めた事が二つある。一つは可能な限り廃棄物を減量して梱包数を削減すること。二つ目は、50次隊のために廃棄物保管庫の余剰空間を確保する事である。

廃棄物の減量については、一般可燃物をはじめ木枠・ダンボール類は例外なく、全て焼却処理する事で対応した。夏作業で出た廃棄物の焼却処理が完了したのは416日、私にとっては忘れられない記念日である。また、越冬中には生ゴミ処理装置で生成された炭の焼却を試みた。これは結果が良好で、10分の1程度に減量できた。廃棄物保管庫の余剰空間確保については、屋外保管に耐えられるエコバックを多用した。エコバックに梱包する廃棄物はプラ・不燃物などだが、単に詰め込むのではなく、圧縮梱包機をフル活用して最大限に減容した。その結果、越冬中の廃棄物の殆どが屋外保管可能となり、48次隊から引き継いだ時と変わらない余剰空間を50次隊に引き渡すことが出来た。私の実施した作業方法は、従来と比べて処理工程が増えるため日常的な手間はかかるが、トータルで見れば合理的であったと自負している。

テキスト ボックス: 廃棄物の圧縮作業

環境保全の仕事ばかりが大変な訳ではないが、夏期間を中心に際限なく出てくる廃棄物に辟易した時もあった。それでも何とか任務を全うできたのは、多くの隊員のご協力のおかげである。

越冬を経験して感じたこと

日本を出発するにあたり不安はなかった。準備には万全を期したし、現場では予期せぬトラブルがあるのは当たり前で、みんなで知恵を絞って体を動かせば、大概の事は解決できると考えているからだ。実際に越冬生活を経験してその通りだと感じた。49次隊でも幾つかのハプニングはあったが、素晴らしいチームワークで臨機応変に対応してきたと思う。このことが越冬生活の一番の醍醐味かも知れない。

越冬中には幾つかの貴重な経験をさせて頂いた。ミッドウィンター祭をはじめとする基地内でのイベントや日常生活も楽しかったが、やはり野外活動が良かった。ルート工作の作業支援をはじめ、内陸旅行や沿岸旅行等どれも思い出深い。特に記憶に残った事が三つある。内陸のみずほ基地では−40℃、風速15m/sほどの気象条件の中で車両整備を手伝ったが、グリスポンプを握る手指が5分程度しかもたなかった。沿岸旅行隊がやむなくブリザードの中を帰還した時には、雪上車を誘導するため基地上陸点まで出迎えたが、視界が悪すぎて駐車場までの誘導はおろか、橇の切り離しすら出来なかった。みんなでロープを結びあい、無事に基地居住区に戻れた時は嬉しかった。私自身が参加した沿岸旅行では、幅4mものクラックに前進を阻まれ、海氷の怖さを実感した。これらの体験は今後も忘れることはないだろう。ただ、自分の本能が「これはヤバイぞ」と警報を発したあの経験、200012月の富士山頂で遭遇した−11.2℃、最大瞬間風速58.3m/sを凌ぐものはなかった。

越冬中に気象部門のチーフ吉見さんからお聞きした「南極よりも冬の富士山の方が厳しい・・・」という言葉が印象的だった。私も自分の経験から同じ思いだが、この事は裏を返せば、現在の南極観測活動が充実した基地設備や雪上車などのシェルター、そして行動規制によって守られていることの証だと思う。これまで昭和基地とその設備を作ってきて頂いた諸先輩方と、49次隊においても基地設備を維持管理して頂いた機械隊員には頭の下がる思いである。ただ、1年を通してTシャツ半パンで過ごせる今の基地環境を、快適すぎると感じるのは私だけだろうか。

「七倉沢」へ通いつめる日々

先週の土日は山岳総合センターの講師研修会が行われたため、七倉沢へ出かけた。毎年この時期に行われている研修会ではあるが、今年のそれは例年とはやや趣を異にした。というのも、今月25日からこの場所を会場に行われる「中高年安全登山指導者講習会〔中部地区〕」のシミュレーションを兼ねての研修会だったからである。この講習会に長山協から参加する実技講師は21人。その21人の間で意思統一を図るために、沢の概念をつかみ、講習可能場所を確認した上で、実際に行う講習の中身について実践とディスカッションを繰り返しながら、確定していった。当然のことだが、山の技術に絶対というものはない。しかし「安全」「確実」ということをきちんと追求していけば、自ずと何をしなければならないかということは見えてくる。これまでおぼろげであった「講習会」のイメージが明確になるとともに、そんな技術の再確認ができた研修会であった。

今週は、センターのリーダーコースの講習会が同じ場所で計画されているので、その機会を捉えて、通信の確認ならびに危険箇所の固定ロープの確認をするためにはいるつもりである。一応この「中高年・・・講習会」の長山協の責任者を任されている責任上、本番まで現地を見たり、それを受けてのデスクワークをしたりの日々が続く。

編集子のひとりごと

赤田幸久さんは社会人の山岳会「登攀クラブ安曇野」に所属している。「登攀クラブ安曇野」は下岡さんの出身山岳会でもあり、その関係で2001年に行った信高山岳会の「崑崙セリッククラムムスターグ遠征」の時には、同会の田中広樹さんにも参加していただいた。赤田さんとはメールなどでのやりとりは南極にいる間も、途絶えていなかったのではあるが、先週の「講師研修会」にも参加されていたので、帰国後初めてお会いし、久闊を叙した。とまれ、未知の世界の話を聞くのは刺激的だ。(大西 記)