不定期刊行            324号  2009.10.13中信高校山岳部かわらばん     編集責任者 大西 浩

木曽高等学校定時制

赤田幸久さんの南極レポート「南極・昭和基地から」 その5

アイスオペレーション

5月24日に10名の隊員でアイスオペレーションを行いました。昭和基地では氷を採取する活動を「アイスオペレーション」と呼んでいます。基地周辺には様々な氷山が点在していますが、今回は雪上車で基地から1kmほど離れた所にある氷山に向かいました。氷山がどれくらい古いものなのか?雪氷学の観測隊員が調査しなければはっきりしませんが、数万年前に南極大陸に積もった雪がゆっくりと時間をかけて氷になり、やがて氷河の流れによって海に押し出され氷山となるのです。生まれて初めて氷山に触れ、自然の営みの大きさを実感しました。

氷の採取はツルハシによる「純手掘り」です。チェーンソーを使えば楽なのですが、海を油で汚さないためにも手作業で行なっています。それでも1時間ほどで約150kgの氷を採取しました。基地に持ち帰った氷は研究サンプルとしてではなく、調理・飲料用に使われます。数万年の時間に思いを馳せながら飲むオン・ザ・ロックなんて最高の贅沢ですね。

氷山全景 

2008524日 赤田撮影

 
今日は5月31日、気温は低めでマイナス28度位です。今日から7月11日までの約40日間、太陽が顔を見せることはありません。「白夜」の反対の「極夜」に入ったのです。これからは特に、隊員各自の体調管理が大切になります。私も体調を崩さないよう、しっかりと自己管理していきます。

太陽の蜃気楼とブリザード

極夜に入って2週間が経ちました。太陽が昇らないからといって、1日中真っ暗と言うわけではありません。午前11時頃から午後2時過ぎまでは「薄明」といって、日の出前くらいのぼんやりした明るさがあります。この時期の屋外作業には、ヘッドランプが欠かせません。仕事に夢中になっていると、気がついたら真っ暗です。

6月に入って最初の1週間は氷点下30℃を下回る日が多くて、とても寒かったです。昭和基地では8月から9月が厳寒期といわれており、6月にここまで冷え込むのは珍しいようです。6月5日には最低気温マイナス37.9℃を記録しました。気象隊員によると6月の最低気温としては、昭和基地での観測史上2位タイだそうです。

この寒さが素晴らしい景色を作り出してくれました。6月2日午前11時半頃、見えないはずの太陽が姿を現しました。「太陽の蜃気楼」です。気温マイナス36.2℃。地表の冷たい空気と上空の暖かい空気に密度の差が生じ、水平線の下にある太陽の光が屈折して浮かびあがって見えるのです。天気も良く、1時間以上も蜃気楼が見えていました。

テキスト ボックス: 太陽の蜃気楼 2008年6月2日 赤田撮影今日は6月13日、外は風速40m/s位の吹雪です。昭和基地では平均風速10m/s以上、視程1km未満の状態が6時間以上続いた場合を「ブリザード」と定義しています。更に条件によってA級からC級までのランク分けをしています。今回の吹雪は風も強く、持続時間も長くなりそうなのでA級ブリザードになるでしょう。先ほど「外出禁止令」が発令されたところです。こういう日は外作業が出来ませんので、浄化槽のメンテナンスや在庫品のチェック、資料作りなどをしています。

新疆のヌルさんから電話があった

10月12日昼頃、新疆ウルムチのヌルさんから僕の携帯に電話があった。最初から最後まで何かこれまでと違って電話が遠く、聞こえにくい状態だったのは、単なるロケーションの問題なのか、それとも別の何らかの要素が関わっているのか、ちょっと気になった。電話の向こうでヌルさんは「久しぶりです。ずっと連絡がとれなかったのですが、とりあえず無事なことをご連絡しようと思い、電話しました。」とのことで、続けて「今年やる予定だった偵察は来年の夏に行いましょう。」と伝えてきた。今まで連絡をとれなかったこともあってその意味では予期せぬ急な電話でもあり、さらには「非通知設定」にもなっていたので、小生もあまり深い話をすることもできなかった。ヌルさんの居場所も聞かずに電話を切ってしまってから、「しまった」と思ったがあとの祭り。その後何度かヌルさんに電話をしてみたのだが、こちらからは相変わらず通じない。

それで、その後いろいろなことがちょっと気になったので、西安の郝さんに電話をしてみた。郝さんは9月25日から10月3日まで新疆に行っていたそうだが、新疆は平穏になったと言っていた。郝さんは「新疆はもう元に戻ったし、市民生活も心配なくヌルさんは大丈夫です。何かあったらまた連絡しますよ。」ということだった。

中国では10月1日に「建国60周年」の記念行事が行われ、その日から始まった「建国記念週間」の休暇も終わって、少し政府の対応が変わってきたのだろうか。そして、ヌルさんから電話がきたと言うのもそれを受けてのことだろうか。ヌルさんはあと一月か二月でインターネットも復活するとも言っていた。一方、今日のニュースでは、7月の「暴動の首謀者」6名に極刑判決が出されたとも報じられている。情報がまだクローズされている中で、一体何が行われているのか、相変わらず実態は不明である。ただ、7月のあの出来事以来、一切連絡が遮断されていたヌルさんととにかく連絡がとれ、話ができたことだけは事実である。これから徐々にいろんなことがわかってくるだろう。

編集子のひとりごと

来週土日は川上村廻り目平で、恒例の「長山協キャンプ」が行われる。遭対委員会と指導委員会共催のフェニックスの大岩でのレスキュー訓練。夜は焚き火を囲んでの大懇親会。クライミングに登山。生徒を連れての参加を考えてもいいのでは。(大西 記)