不定期刊行            330号  2009.11.1中信高校山岳部かわらばん     編集責任者 大西 浩

木曽高等学校定時制

「フォークツリーの森」と雪崩の通り道

10月25日、NPO法人ACTが企画した「樹木が語るAvalanche Path探訪会」に参加した。講師をされた若林隆三さんの話によれば、「樹木は雪崩によって幹が折れると、断面付近から新たな幹がフォーク状に分岐して伸びる。新たな幹も折れるとその断面付近から同様に幹が分岐して生育するため、樹木の形状や大きさから過去の雪崩履歴が推定できる」ということである。午前中は栂池で、午後は猿倉でと場所を移動しながら、前者では針葉樹、後者では広葉樹の森に刻まれた雪崩の痕跡を辿った。

栂池では、1996年2月の大雪崩を例にこの山域でどのような雪崩が過去に起こってきたのかという「痕跡」を探った。ゴンドラ終点の「栂の森」には今まで何十回と訪れているが、このあたりの針葉樹(若林さんによれば「ツガ」ではなく「シラビソ」や「オオシラビソ」であるとのこと)のほとんどが途中で折れ、そこから二股、三股に分れて成長しているということ、そして、その分岐しているところの高さがほぼ一定であるということ(写真参照)は、言われるまで気がつかなかった。若林さんはこの原因が雪崩であるというのである。1996年の大雪崩は、水平距離3km、標高差870mを下る大規模なものであったという。白馬乗鞍岳の山頂から発生し、自然園の大木をなぎ倒し、さらにゴンドラの南側の尾根をも乗りこえた。同時期に北東のひよどり峰から落ちた雪崩は、栂の森ゲレンデを襲い、リフト小屋を襲った。これらの雪崩はいずれも表層雪崩であるが、重い風を伴って大木をなぎ倒し、尾根をも乗りこえる破壊力を持っていた。したがって樹木は、雪に覆われた下部を残して、それより高い部分はすべて折れてしまう。しかし、下枝を残したこれらの木々は、まるで怪我を治療するかのように数年をかけて折れた部分に横枝を密生させ生き残り、その密生した枝の数本がその箇所から立上がり、二股、三股の木となり今の景色を形作っているのだというのだ。そう思って見ると、雪崩道が見えてくる。

テントを張るとき「針葉樹の林は安全」と経験的に今まで漠然と考えていたことが実は全くあてにならないということを知らされた。一方、猿倉は、2000年2月に小日方山北東面の中山沢の雪崩のあとを観察した。この雪崩の規模は水平距離1.4km、標高差800m、直進して下流の小山を乗りこえ、北股入にある白馬館のヘリポートや橋などを破壊したがその被害は1570万円に及んだ。こちらは広葉樹の森で、木の性質上針葉樹の森ほど顕著ではないが、やはり注意してみると同じようなフォークツリーが雪崩の痕跡を留めていた。

若林さんによれば「雪崩も含めた荒々しい環境という観点で森を見ると、雪崩も自然のサイクルの一つであり、森の更新に一役買っているといえるのではないか。要するに、木は長年の経験の中で、種が生き残る術を身につけてきた。いかに雪崩が山岳を支配していようとも、森林の生命力を奪うことはできない。一本の老木は朽ち果てても、そこに新しい若木が育ってくる。森林は、『種』として雪崩のお陰でしたたかに若返りを続けているのだ。」という話が印象に残った。

赤田幸久さんの南極レポート「南極・昭和基地から」 その7

貴重な生野菜

レタスを収穫する隊員

撮影:青堀隊員

 
昭和基地での食事は2名の調理隊員が作ってくれています。おかげで毎日バラエティに富んだ食事を楽しむことができます。ついつい食べ過ぎて体重が増えたという隊員も少なくありません。私の場合も、気がついたら3〜4kg増えていました。毎日おいしい料理が食べられてみんな満足していますが、野菜サラダには飢えています。昨年12月初旬にオーストラリアで積み込んだ生キャベツは、調理隊員が大切に管理することで実に7ヶ月もの間その食感を楽しませてくれましたが、7月7日のサラダを最後に姿を消しました。このように厳しい「生野菜事情」を少しでも緩和するため、49次隊では野菜栽培装置を持ち込みました。「農協係」の11名がこの装置を運用して、レタスやハーブなどを作ってくれています。また、有志の隊員数名が、もやしやカイワレ、ブロッコリースプラウトを作ってくれています。これらの生野菜が食卓に上がると、「今日のカイワレは○○農園からのご提供です」と当直さんが発表し、いっせいに拍手がわき起こります。そして、みんなで合掌してから「いただきま〜す!」となるわけです。

日本では夏野菜がおいしい時期ですね。南極で生野菜が食べられるだけでも幸せなことですが、欲を言えば、畑で採れたばかりのキュウリとナスと茗荷が恋しいです。

編集子のひとりごと

「一年に一度くらいは御嶽に登りませんか」と職場の先生方に声をかけて、11月3日に御嶽登山を計画していたのだが、11月の声を聞いたら急に寒くなった。2日の夕方からは木曽では冷たい雨が降り始め、王滝方面は雪。それでも低気圧が抜けた3日には天気は回復するだろうと読んで、2日は学校に泊まって準備した。

朝起きるとこの冬一番の冷え込みではあったが、木曽福島では青空が広がっていた。当初は6名が参加してくれることになっていたが、前日の天候の影響で結局参加者は3名となってしまった。田の原は雪で登れないとの情報を得たので、三岳のロープウェイ(黒沢口)から登ろうと計画変更し、無理をせず行けるところまで行こうと出発。山頂の強風のため1時間ほどロープウェイが動かず待たされたが、山頂駅に到着した頃には風も治まり、青空の下に三段紅葉の見事な光景が待っていてくれた。装備の関係で頂上までは登らなかったが、女人堂上部8合5勺あたりまで登って来た。無風快晴の中、新雪を踏みながら静かな山を楽しめた。写真は女人堂付近のナナカマドの樹氷と雪をいただいた継子岳。(大西 記)