不定期刊行            333号  2009.12.4中信高校山岳部かわらばん     編集責任者 大西 浩

木曽高等学校定時制

09駆け足中国訪問記 その1 武漢へ

長山協顧問の田村宣紀さんの「春夏秋冬 山歩きの知恵」が中国地質大学出版社から刊行された。その出版関連のいくつかの行事に参加するため、11月20日から6日間中国を訪ねてきた。中国登山協会(以下CMAと記載)のトップ李致新さんとの会談、このところ直接連絡がとれなかった新疆のヌルさんへの電話、またかつて日本にいた友人との出会いあり、新しい友人ができたりと私にとっては、大変意義深い旅行となった。会議や行事などの連続でほとんど観光のない旅行ではあったが、中国の登山大会にも一部参加し、中国の登山事情なども知ることができたので、ちょっと紹介してみたい。

11月20日午後、成田空港に集まったのは、田村さん夫妻、長山協から西田副会長と小生、田村さんの主宰する「山学山遊会」を中心とする山仲間9名の合計13名だった。5時50分我々を乗せたANA便は予定より20分ほど遅れて飛び立った。北京へ到着したのは定刻の20時30分(北京時間)だった。北京訪問は5年ぶりのことだったが、オリンピックを前に昨年開港されたばかりの首都空港は、かつてとは趣が全く変わっていた。巨大なそれは、すっきりとしたレイアウトの中にも洗練された感じがし、中国おそるべしの印象をまず強くした。明日は早朝に武漢へ飛ぶため、ホテルは空港に程近いところに取った。すでに夜も更けてはいたが、ホテル内のレストランで安着祝いを兼ねて、田村・西田・浅川とみ子女史・大西の4人で軽くいっぱいやってから寝た。

21日は4時半のモーニングコール、あらかじめ用意された朝食の弁当の量にビックリ。サンドイッチが二つ、菓子パン、パウンドケーキにゆで卵、直径15センチはあろうかというチキンカツ、そこにリンゴとバナナ、飲み物は水とコーラという豪華版。食べきれなかったがしかし、結果的にはあとあとこれが適当に役に立った。空港でチェックインしてから、まだ開いていないレストランの店先のテーブルを占領し、さきほどの弁当を広げる。そこにやってきたのが、李建華さん。建華さんは今回の田村さんの翻訳者である。中国では著名な翻訳者であり、これまで三浦綾子の氷点や團伊玖磨のパイプのけむり、平山郁夫の悠悠大河などを翻訳されている。奥さんの楊晶さんも東大に留学された才媛で夫婦そろっての日本通だ。田村さんが2000年のチョモラーリ清掃登山を行った際、CMAから紹介されてはじめて山へ行ったというのがそもそもだというが、大変に気さくな方で今回の旅の間も流暢な日本語で私たちの潤滑剤を買って出て下さった。「大西先生とは初めての出会いでしたが、そういう感じが全然無く、楽しかった」帰国後すぐにメールで写真と共にそんなメッセージを送ってきてくださった。

さて、我々の今日の目的地は「武漢」。しばらくは白く雪をいただいた山が見えたが、またまた出た機内食を食べているうちにやがて黄土に覆われた大地が見えてきた。9時40分、およそ1時間あまりの空の旅で武漢に着いた。武漢には我々より一足先に来ていたCMAの交流部長李豪傑さんが「久しぶりです」と出迎えてくれた。今日の午後は「黄鶴楼」へ行きましょうと豪傑さん。「武漢」といえば「黄鶴楼」に「赤壁」、国語の教師としては、期待に胸がはずむ。空港を出て車でおよそ40分走ったところに止まった。ここが今日の宿泊ホテルだそうだ。入り口には大きく「全国群衆登山健身大会・・・武漢木蘭山登山節」の横断幕がかかっている。我々は明日出版記念の式典に出席する前に、CMAが主管するこの「登山大会」の開会式に出るというスケジュールになっていたのだが、どうもこのホテルがその大会の選手をはじめとする役員の宿泊ホテルになっているようだ。あとでわかったことだが、このあたりは武漢市の北東にある「木蘭地区」というリゾートで、木蘭山を中心に、武漢の黄山とも呼ばれている古門という岩山や峡谷を擁する風光明媚な場所だそうで、ホテル自体も木蘭湖という湖の畔に建っていた。

武漢の空港が市街地から離れたところにあるのは知っていたが、僕らがおろされたところは、空港から市街とは逆方向へ進んだところにあり、ここから市街まで2時間かかるという。北京がホームグラウンドの豪傑さんもまさかそういう地理的な状況にあるとは知らず、我々を喜ばせようと最初に「黄鶴楼」という名前を出したのだったが、午後の観光をしようと現地のガイドに確認したところ、ここから午後の半日で市内まで行ってくることは時間的に難しいと言うことだった。それで結局午後の観光は近場の観光地である木蘭古門という岩山に案内してもらうこととなった。

ここで、豪傑さんから紹介されたのが神戸大学のカンリガルボ登山隊の一行5人。一行は、武漢の中国地質大学と合同登山隊を組み、チベット人隊員2名を含む4名が11月5日に同山群の未踏峰、 KG-2(推定標高6,708m)の初登頂に成功したということだった。すべての登山行動を終えた彼らは、合同チームを組んだ相手のお膝元武漢で、帰国前の最後の休日を過ごしていたのであった。彼らとはこの旅の間中、つかず離れずで、行動を共にする場面も多かったが、未踏峰に登頂したという高揚感もあったためか、愉快な仲間としていい旅の思い出になった。中でも院生としてこの遠征に参加し見事登頂した近藤君は、なんと長野県の屋代高校のOB(在学中は卓球部に所属していたそうだ)であり、そんなところからも親近感をもつことができた。

テキスト ボックス: 木蘭古門の岩山木蘭古門」は、武漢の黄山とも呼ばれているそうだが、花崗岩の露出した不思議な造形の岩山だった。夕刻からは、現在上海に在住している影山淳さんが合流。これで今回の役者は全員そろった。影山さんは、愛知県のご出身だが、田村さんが隊長をしたイランジャパンのマナスル隊に参加して、日本人として唯一頂上に立ったがそれ以来長野とも深い関係のお付き合いをいただいている。今は茶を扱う商社の上海支店長をしていることから、同行することとなった。

ハイキングを終えて帰った我々は、翌日の登山大会の前夜祭のパーティに参加し、いきなりハイテンションになる。田舎のホテルらしい素朴な料理だったが、全国各地から来た選手、役員と一緒に夜の更けるまで盛り上がった。

編集子のひとりごと

思いがけず貴重な中国旅行ができた。山に関わる色々な情報も得てきたので、個人的な思いも加えながらこの旅行のことについて紹介したい。お付き合い下さい。(大西 記)