不定期刊行            333号  2009.12.4中信高校山岳部かわらばん     編集責任者 大西 浩

木曽高等学校定時制

駆け足中国訪問記 その2 中国全国登山健身大会に参加

21日は、早朝からバスで登山健身大会の開会式に出席するために移動。中国でも国民の間でハイキングが広がっていることを肌で感じることができた。大会は選手と一般参加者がいる。この登山健身大会は、今年は全国の20カ所で行われてきたが、ここ武漢の大会が今年のフィナーレを飾る大会だとか。「木蘭山」は山頂に道教と仏教の混在した寺院が建っているが、そこまでの登山道を選手は駆け上がる。標高差400mくらいだろうか、いわゆる国体の縦走競技を想像して頂ければ話は分かりやすい。チームで戦い、1チームの構成は、男子2名女子1名の3名。よーいドンでスタートし、山頂のゴールを目指す。しかしこれでレースは終わりではない。ここがおもしろいところだが、到着したところで、選手は3人で協力して木をこすり合わせて火をおこし、線香に点火する。それをもってゴールとなり、そのタイムを競うというルールのようだった。そして、普及の意味もあるのだろう。選手がスタートしたあとは、1000人を優にこえる一般参加者が、同じコースをゆっくり自分のペースで登っていく。その意味で「健身」と銘打っているのだと思わされた。こんな大会がこの一年間に全国20回開かれていて、主催は国家体育総局登山運動管理中心とCMA、地区の人民政府だそうだ。スポンサーがついての冠大会でもあり、選手は中国国内の某アウトドアメーカーがあつらえた揃いのユニフォームにゼッケンをつけての参加であった。

我々は、「日本登山協会登山隊」のプラカードの後ろに並んで「武漢大会の開会式」に選手と一緒に並び、入場行進。そうしてアリバイ作りが終わったあとは、バスに乗りゴールまで移動。そこで「閉会式」にも出席した。当然、時間があったので、ゴールとなっていた「木蘭山寺院」の観光。おそらく日本人で訪れた人はないだろうが、歴史を感じさせる由緒ある地方の古刹であった。

駆け足中国訪問記 その3 山有夢想――山に夢見る

閉会式を終えた我々は、この旅行のメイン行事である田村さんの著作の出版記念式典へ出席するため、やや遅い昼食を終えて14時50分に武漢市内へと移動を開始した。しかし、武漢は遠く4時からの開始時刻には大きく遅刻し、中国地質大学に着いたのは薄暮の迫る5時20分だった。しかし、途中で渡った長江の雄大な流れと東湖に沈む夕陽の赤さは、ほとんど観光できなかった武漢の一つの思い出となって僕の心に残った。

記念式典は中国地質大学のホールで行われた。CMAの顔金安副会長が、「この企画は中国と長野との登山を通じた長い友好から生まれてきたもの」と挨拶。田村さんは、「これまでのつながりから生まれたこの書を単なる登山技術という観点ではなく、登山文化という観点で捉え、これからの中国で役立ててほしい」と挨拶。式典がおわったあと田村さんは、「山有夢想――山に夢見る」と一人一人にメッセージを込めたサインを書いて下さった。思えば、「山が有ること」が基本であり、そしてそこを舞台に、見ることができたたくさんの夢が、多くの人々とつながるきっかけとなって僕自身も、ここに居合わせることができた。いいことばを記念にいただくことができた。

それにしても長野と中国の友好はまさに長江のようなものだ。この日、CMAの應落≠フアウトドアの指導書も同時発売され、合わせての式典だったのだが、應落≠ヘ挨拶の中で、「僕が今こうして本を出せるのも、『日中合登研』で田村さんをはじめとする長野の皆さんの指導のおかげです。出藍の誉れということばがあるが、僕が田村先生を超えることができたら、きっと田村先生も喜ぶでしょう」と話した。

大学構内の招待所で行われたその後の祝賀会には、地質大学出版社で編集を行った段連秀女史と懇談する機会があったが、段さんは第4回合登研(アムネマチン)の参加者だそうで、清水澄隊長はもちろんのこと、松田大、飯沼健樹の二人の高校教諭のこともよく覚えており、懐かしがっていた。

駆け足中国訪問記 その4 ヌルさんと連絡がとれた

さて、懸案だった新疆のヌルさんの消息。20日の昼過ぎ、ちょっと空いた時間を利用して豪傑さんにお願いして、彼の携帯電話からヌルさんの携帯へと電話をかけてもらった。あらかじめ、訪中のことは西安のカクさんを通じてヌルさんには伝えてあり、ヌルさんからは「中国に着いたら一度電話をしてほしい」という伝言を聞いていた。

そんなわけで豪傑さんの電話にヌルさんはすぐに出てくれた。そこでの会話の内容は以下の通りであった。「現在、新疆の治安状態は回復してきており、市民生活の面では平安になっている。ヌルさんの会社には一本だけ中国の外へ掛けられる電話があるそうですが、日本からは掛けられないようになっている。10月に僕のところに掛けたときに使ったのもこの電話だった。メールは12月には開通するはずだ。(と言っていましたが、未だ不通です。)来年の偵察をぜひ成功させましょう。」などの話をした。直接話すことで、いろんな部分がわかった。しかし、メールについては中国国内からも繋がらない状態だそうで、豪傑さんによれば、CMAから新疆への連絡もメールはだめ。ただしFAXはオーケーなので、今後文書連絡したい場合は、CMAへのメールをFAXで送ってもらうのが今のところ一番確実な方法である。豪傑さんもまた後に会談した李致新CMA会長もそのことは請け負うといってくれた。いずれにせよ、ヌルさんとは、来年度偵察の方向で前向きに動きましょうということをお互いに再確認をしてくることができた。