不定期刊行            335号  2009.12.10中信高校山岳部かわらばん     編集責任者 大西 浩

木曽高等学校定時制

駆け足中国訪問記 その5 北京の美味しい一日

11月23日、今回の旅はスケジュールがタイトで、早朝から深夜まで盛り沢山。今日も早朝の便で北京への移動のため、起床は4時45分。朝飯抜きで武漢空港へと向かった。まだ真っ暗な中、地質大学を出た。「黄鶴楼」脇をスライドして、長江を渡る。初めての武漢ではあったが、街の風情を味わうこともないような瞬間的な滞在で、後ろ髪を引かれる思いだったが仕方ない。また来よう。空港で上海へ帰る影山さんとお別れ。

北京へ着いたところで、豪傑さんと田村さんから「大西さん、昼食はどうしましょうか」と相談される。夜は建華先生の主催する夕食会がセットされており、メニューはしゃぶしゃぶ。せっかく北京へ来たのだし、今回のメンバーのほとんどは初めての北京だということを考えて、「北京ダックはどうでしょう」と提案し、即決。北京の知己に逢う浅川女史、日本に留学していたトンルーさんを訪ねるという田村さんの奥さんと吉田さんの3名が夕食までは別行動となり、残ったメンバーで観光に行くことになった。

まず向かったところは、北京ダックの食べられる店「便宜坊」。ここのダックは、一度蒸してから調理するのが特徴で、古い時代の調理法を受け継いでいるそうだ。明の永楽年間(1855年)創業で、もう一つのダックの老舗「全聚徳」よりも実際に歴史も古い。前菜の水かきの芥子和えなどの名物も乙な味。何品もの料理のあとに出てきたメインディッシュのダックは、パリパリの皮はもちろん、肉もジューシー。ネギと一緒に味噌をつけて、包み込む。目の前で焼き上がったダックを丸ごと1羽さばいて供してくれるので、目で見ても美味しかった。CMA交流部のメンバーとも合流し、いきなり腹一杯になり、観光気分も全開。そのままの勢いで天安門広場へ行くと、前回来たときはなかった卵形の劇場の建物が目を引いた。さらに故宮へと足を進める。明清2王朝23代の居城であった故宮は、その収蔵品の多くは蒋介石によって台湾に持ち去られたとはいえ、9999の建物があるという広大な建物郡。その大きさは皇帝の権力を彷彿とさせる。ゆっくり見学を済ませた後、北京一の繁華街である王府井で、銀ブラならぬ王ブラ。午後をこうしてゆったりとした観光で過ごしながら、ようやく中国へ来たことを実感。

夕食は、「東来順」というしゃぶしゃぶ料理の老舗で出版祝賀会の第2弾。陶器の洒落たしゃぶしゃぶ鍋の燃料はなんと炭。牛肉もあるが、あくまで主役は羊。この酒宴は、建華先生が代表をされている「北京同心社文化有限公司」の主催で行われ、中国側からは15名が参加。北京同心社の方のほか、共同翻訳者である建華先生の夫人の楊晶さんをはじめとし、中国職工対外交流中心の白立文さんなどの来賓に混じり、トンルーさんも参加され、田村さんの本をサカナに鍋をつつきあいながら、大いに盛り上がった。

参加された中国人15人のうち、建華先生の息子さん夫妻を除く13人が流暢な日本語を話され、まるで異国にいるという感覚のない不思議なひとときだった。実際に翻訳出版するに当たって、田村さんと建華先生、楊晶さんの間で何度も何度もメールのやり取りをした様子などの裏話や、中国国内の労働運動の筋金入りの指導者でもある白さんから見た日本の労働組合運動についての話(何しろ僕が高校の教員で組合員だと話すと即座に「『日高教』ですね、『麹町』ですか『一ツ橋』ですかと帰ってくるくらいの情報通)など、なかなか貴重な話を伺うことができたのも楽しかった。日中双方が歌を歌って会は最高潮に達したところでお開きとなった。ちなみに日本側の歌は、「信濃の国」。長野県人にとって、この歌はこう言うときには至極具合のいい歌であると改めて実感した。21日からずっと一緒に旅をしてきた建華先生とは、ここでお別れである。

食事が終わった後は、北京郊外の懐柔区にあるCMAの登山訓練センターに移動。スモッグで霞んでいる北京の街を南北に貫いて新しくできたオリンピック道路をしばらく進み、やがて右に曲がると五輪メイン会場の鳥の巣が見えてきた。北京の開発がオリンピックを契機に大きく変わったことを実感する。開発前のことについては、かわらばんでかつて少し書いた(46号/2003.03.01)が、あのころとは大きく様変わりした街並みに、空港で感じたのと同じ気分をもう一度味わった。

駆け足中国訪問記 その6 CMAの登山訓練センター

CMAの登山訓練センターは、懐柔区の大きな湖、「懐柔水庫」のところに突き出た半島にある。訓練センターの宿泊所は、10月に内装が改装されたばかりで、まだ新しいペンキの匂いも感じられる清潔な建物だった。案内役の豪傑君も改装後は初めて泊まると言っていた。中国滞在5日目、昨日はひたすら食べ続けだったので、今朝は少し早起きして周囲をジョギングしてみようと思ったのだが、門は頑丈に施錠されており、敷地の外には出られなかった。そこで、敷地内の小高い丘に登ることにした。丘の上まで登ると霞んではいるが、湖を望み見ることができ、全体のロケーションが把握できた。

一旦部屋に戻ったが朝食まではまだ時間があり、田村さん、西田さんが散策に出かけるというので、再び外へ出る。ここには、1990年に長山協が音頭取りとなって、県内の篤志家に募金を呼びかけて作った人工壁がある。当初寄贈した壁をうまく活かしながら、今はより高く大きく拡充した15mの壁とその横にはボルダー壁が並んでいた。長山協とCMAの長い友好が形となって残っている。その壁と「山魂」のモニュメントを見てから、今度は湖の畔まで歩いて見た。ずっと前に、森山議雄さんと話をしているときに、懐柔地域には、自然の岩場があるということを聞いたことがあった。今日の観光は慕田にある万里長城と懐柔市街だけということだったので、もしやと思って時間があったら行ってみたいと思って豪傑さんに聞いてみたところ、ちょっと方向が違うので、難しいということだった。まあ行っても登れるわけでもないし、仕方ないので諦めた。

編集子のひとりごと

「懐柔」で思い出した。かつて松本市に「懐柔」という餃子専門店があった。店主は戦前に懐柔で餃子の味を覚えたということを聞いたことがある。店主の高齢化で閉店したのだが、その味を懐かしんだ人が、先代の指導の下最近2代目懐柔として復活した。この店、メニューは餃子のみ、他のメニューは、料理はもちろん麺類もご飯もない。先代と味も雰囲気も変えていないというのがウリ。一度行ってみる価値はある。(大西 記)