不定期刊行            336号  2009.12.11中信高校山岳部かわらばん     編集責任者 大西 浩

木曽高等学校定時制

駆け足中国訪問記 その7 懐柔区の観光

朝食後、万里の長城に向かう。北京市内の公開されている長城は8カ所ということだが、今回訪れるのは懐柔区にあり、明代に作られた慕田長城。駐車場からはロープウェイで頂上まで登る。到着したときはガスがかかり、眺望ももう一つだったが、次第に見通しもよくなってくる。雲一つない青空というわけにはいかなかったが、風もなく、予想された寒さはなかったので、稜線上にうねうねと蛇がのたうち回っているように続いている長城の雰囲気は充分満喫した。広大な大陸に国境線をひき、そこに「柵」をつくって異民族の侵入を防ぐという発想とそのスケールの大きさは現実に目の前で見るとやはり圧倒される。北京市内から高速で一直線の八達嶺長城に比べれば、多少行きにくい分だけ人も少なく、静かなところもよかった。全く偶然であるが、下りのゴンドラの窓に「克林頓総統于1998年6月28日乗坐(下行)」と書いてあるのに、一緒に乗った豪傑さんが気がついた。中国語の下には「PRESIDENT WILLAM.J.CLINTON TOOK THIS CAR DOWN THE GREAT-WALL ON JUNE 28TH 1998」と書かれていた。僕の乗ったゴンドラは、クリントンが乗ったまさにそのゴンドラであったのだった。まあ、どうでもいいことだけれど・・・。

観光を終えた後は、「田舎料理を食べましょう」と豪傑さん。このあたりは夏には北京から避暑も兼ねながら家族で長城を見物したりキャンプや釣りをしたりして、生け簀の魚をメインにした田舎料理を食べに来るのに手頃な観光地。道沿いには食堂が軒を並べており、どの店にも生け簀がある。生け簀から希望の魚を選んで料理してもらう。料理のメインはマス科の川魚。中国では刺身でも食うと言うことだったが、我々は焼いてもらって食べた白身の淡泊な味。次々と供された料理は、洗練こそされていないが、まずまずの味。中華料理は、少しずつ食べているつもりでも、料理の品数が多い上に好奇心もあって必ずどの皿にも箸をつけるので、いつの間にか、食べ過ぎてしまう。最後には栗料理が出た。山の斜面にはたくさんの栗の木があったが、懐柔区は栗の産地でもあるとのこと。・・・これらの多くは天津甘栗になるんだろうな。

午後は懐柔区の繁華街へ出かけた。デパートのある大通りから一筋外れるとそこはまさにそこに住む人たちのありのままの生活空間が広がっていた。露天の店や市場、屋台、輪タク、それになんといっても人、人、人・・・。僕の大好きな空間がそこにあった。

観光を終えて訓練センターに帰ると、CMAの張江援さんが来ていた。2006年西蔵で逢って以来の再会だ。当時は西蔵に配属されていたが、今はまた北京にもどってきたそうだ。「貫禄ついたな!」と言うと、布袋様のような腹をさすりながら、にこっと笑った。夕刻には神戸大の一行も一日遅れで到着、その案内役はCMA交流部副部長の趙建軍さん。彼とは2003年以来の再会である。あの時の僕は、北京の気ままな一人旅だったが、あらかじめ連絡しておいたら、ホテルまで自転車でやってきて北京の街を案内してくれたものだ。その時の話をしながら、旧交を温めていると、李致新さんが「久しぶり。」とやってきた。これですべての役者がそろった。

駆け足中国訪問記 その8 CMAと長山協の会談

5時30分から今回の旅の中で、小生としては最も重要な会議であるCMAのトップ李致新さんとの会談がセッティングされた。CMAは李致新、李豪傑両氏、長山協は西田さん、田村さん、大西の3名が対応した。場所は訓練センター宿舎内の会長特別室。

「久しぶり。元気でしたか?」と握手を求めてきた李致新さんは、「UIAAの会議で、昨日までスペインに行っていたが、長野からの皆さんを迎えるため、会議を半分残して帰国した。10月に内装を新しくしたばかりのこの登山訓練センターで皆さんを接待できて嬉しい。」と再会を喜び合った。会談では最初に長山協側から「2011年長山協創立50周年行事のこと」「四川、西蔵、新疆などの各省の登山協会の状況」「来年4月に栂池で開催される第6回山岳スキー競技会」などへの協力や情報提供を求めた。

致新さんは、これらのいずれに対しても、「中国の登山は長野からはじまった」というこれまでの長野との友好を継続することを重視しているという立場から、これからも協力していきたいと強調された。その上で、現在のCMAの事情を次のように説明した。曰く「これまでのCMAは『高所登山』にスタンスをおいていたが、高所登山だけではなく、高所登山も多くの登山のうちの一つの分野であるという考え方に変わってきている。もちろん『高所登山」』も行うが、今は『青少年の登山育成』や『大衆への登山の普及』へと重点が変わってきている。そんなスタンスにたって、長野とCMAで、共同で興味をもてるものがあれば、協力してやりたいと考えている。具体的には、青少年の登山活動やクライミング、アドベンチャーレースなどを考えてみたい。また、高所登山ということでいえば、チョモランマの西蔵側からの登頂50周年などもやりたいと考えている事業のひとつである。」と。

2点目について、「西蔵については、観光は制限があるかもしれないが、登山に関してはまったく問題はない。ただし、未解放地域・未踏峰については困難な状況がある。これまでも安全面を重視して許可しなかったこともある。また、新疆については、7月5日の事件の余波が残っており、まだ完全に回復はしていない。私たちもPCメールや携帯メールなどは通じない状態で、FAXでやりとりしている状態である。大きな事件であり、多くの人が死んでいるので、今の事情には漢族も不満をもっている。漢族にしても『2000年以上前から住んでいる地域でもあるのにどうして?』と理解ができない。だが来年春以降、登山をするだけなら問題ない。連絡等がある場合、CMAを通してくれれば仲介する。さらにCMAと地方の関係も良好である。今は彼らの発展のためにバックアップしていくというのが基本方針であり、地方が行うスポーツクライミングやアウトドア活動については、資金面でも援助している。そういうことで順調な関係が築けている。」さらに、3点目についてもアジアの仲間として、普及も含めて一緒に取り組んでいくことを約束してくれた。

話を伺う中で、今までは自分たちの力をつけていくのに精一杯だったCMAが大衆のためにという風に大きくスタンスが変わったこと。またその前提となる中国の登山が変わってきていることを率直に感じた。青少年の育成にも力を注いでいきたいという考えは高校の教師としては、今後に可能性を含んだ内容であると感じた。