不定期刊行            346号  2010.03.28中信高校山岳部かわらばん     編集責任者 大西 浩

木曽高等学校定時制

岩村田高校山岳班活動報告書

先日、岩村田高校の重田先生が、「山岳班 山行記録 2008.10−2009」という冊子を送って下さった。表紙は槍ヶ岳を見ながらの表銀座と八ヶ岳横岳の岩場、裏表紙にはツクモグサが可憐である。本文は、写真を多用した極めて現代的な編集で、見ていて、一緒に山を歩いているようで楽しい。重田氏曰く「写真が中心で、山行記録という点では不十分で・・・」ということだが、写真に長めのキャプションをつけることで文章の苦手な生徒でも十分参加できている。忙しい中で、こういったことを生徒に提案し、実行すること自体が意味ある活動なのだ。

かつて、山岳部は文化系か運動系かという議論があったが、身体を動かす活動でありながら、こういったまとめができる部活動というのがその議論の根本にある。元日山協会長の斉藤一男さんは「山岳文化よ大いにおこれ」と山岳文化学会を立ち上げた。高校山岳部活動の重要性を改めて認識させられるこういう地道な活動報告は嬉しい。

木曽を離れる前に・・・始業前の御嶽登山と離任式

11年通った木曽高で終業式が行われた3月19日の朝、三岳の御嶽ロープウェイスキー場に向かった。実のところ、11年間木曽に通う中で一番登った山が御嶽だった。改めて登った数を数えてみると優に20回を越えている。特にこの一年は今日も含め4回目である。四季折々、1月以外はすべての月に登ったし、同行した人も様々だった。生徒とは少なくとも7回以上、信高山岳会の仲間とも4回、高教組木曽支部の交流登山も思い出の一つだし、木曽(青峰)高の職員と初雪の日に登ったのも印象に残っている。信大の高所医学の調査のモルモットとして登ったこともあったなぁ。その時々の思い出は尽きないが、単独で登ったのも少なくとも5回は記憶に残っている。

定時制に勤める僕の勤務時間は13時30分から。御嶽ロープウェイスキー場の始発のゴンドラは9時発。頂上までの標高差は1000m弱。始発に乗れば、11時までには頂上付近まで行けるはず。よしんば頂上まで行けずとも、十分御嶽を堪能し、おそくも11時30分に登山行動を終了して下れば、スキーの機動性とも相俟って移動時間(1時間)も含め勤務時間には間に合うだろうと読んで、出かけた。

前日平地では終日雨が降ったが、山では新雪がおよそ30cm。パウダー状態で最高のコンディションとなった。予定通り、始発のゴンドラに乗り込み、9時15分には山頂駅(2120m)に到着。スキーをつけるのももどかしく歩き始める。朝方は上部にはガスがかかっていたが、次第に晴れ上がってきた。稜線上は強風で雪煙があがっている。降り積もった処女雪に一筋のトレースを刻みながら、高みを目指す。目標は2時間。

およそ40分で樹林帯を抜け、左手に金剛堂を見る。生徒と山スキーで来たものの樹林帯を抜けた瞬間に吹かれて、このあたりで敗退したことも昨日のことのようだ。9合目の小屋の下部から続く正面の大きなルンゼ状の大斜面を登る。次第に傾斜がきつくなるが、斜面を右に左に切りながら徐々に高度を上げていく。生徒・職員の有志で登っているとき、シール登高に慣れないAさんとB君がそのまま20mほどズリ落ちて行ったのはこのあたりだったなぁと思い出される。10時45分小屋の直下でスキーアイゼンを装着する。まあまあのペースである。剣が峰までは無理だが、このままのペースなら三岳山頂は十分に登れると考え休憩をとらずそのまま登り続ける。小屋の左手を登って行くが、ところどころ表面がクラストしているので、注意しながらシールとアイゼンを利かせながら慎重に進む。単独で来て、強風で小屋までも来られず敗退したこと、また2月でまだ雪が硬くアイゼンを持って来なかったことを後悔しながら小屋の前の青氷に恐怖してシールを外し這々の体で逃げるように滑り下りたことも懐かしい。

ここまでは快調だったが、山頂直下の鳥居を過ぎるあたりから、吹き下ろしの風がもろに身体に吹き付けるようになってきた。下から見上げたときに舞い上がっていた雪煙は猛烈な勢いで上がった後、吹き下ろしてくる。表面の雪は全て吹き飛ばされ、カリカリに氷っている。それでも、そんな最後の斜面を登り切って、ほぼ予定通り11時に三岳頂上に到着した。立ってはいられないほどの風に恐怖を覚える。やっとのことでシールを外し、「長居は無用」とばかり立ちあがって片足を浮かせスキーを履こうとした瞬間、風に振られ飛ばされそうになった。「まずい」と思い、座った状態でスキーを履こうと試みるが、上からの過重のかからない状態でスキーを装着するのは非常に難しい。10分ほどかけて、ようやくスキーを履くことができた。強い冬型の天気で、乗鞍は見えるが、北アルプスのそれ以外の山はガスの中。氷のような雪面を慎重に下ろうと滑り出したが、風が背中を押すのでブレーキをかけていても恐いほどスピードが出る。わずか20mくらいではあるが、鳥居のところまでおりてきて、ようやく人心地がした。

猛烈な西風で山頂付近は大変だったが、東側斜面は穏やかで登りも下りも快適だった。大斜面に自分だけのシュプールを好きなようにつけながら、3月下旬だというのにパウダーの気持ちいい感触を楽しんだ。振り返ってみるシュプールは、僕の木曽での様々な思い出を表わしているかのように右に左に時には大きく時には小刻みに蛇行していた。

山を下るにつれ、「木曽を去るんだなぁ」という思いが沸々と沸いてきた。今日は三岳から登ったが、南側に見える田の原から登る王滝登山道にも思い出は多い。高教組木曽支部の親睦登山のとき高山病になってしまったCさんをサポートして登ったこと。遙拝所の屋根の下での全定の生徒一緒に行った幕営や雪訓。信大の高所医学の調査では、プレ登山のとき、当の担当者の脈が一時180にもなって調査どころではなかったこと。冬、大江権現付近でスキー初心者の生徒が捻挫し、そこから下まで苦労しながら下ろしたこと。もう一度登りたいという両親と叔母を連れて登ったのも田の原からだった。

・・・2時間で登った3000mの山頂からは、スキーで下ればあっという間、それでもたっぷり堪能しながら30分ほどかけて11時40分には駐車場に下り着いた。

その後、山麓の温泉で汗を流し、13時15分には学校到着。離任式の前に、6年前に担任をして卒業させた生徒たちが僕の転勤を聞きつけて三々五々集まってきてくれたので、最後のお別れをした。高校時代はどの人も苦労したが、卒業した後、それぞれが地に足をつけてたくましく暮らしている。ある人は仕事に、ある人は夢に向かって、そしてまたある人は生涯の伴侶をみつけ子育てに全力投球している姿など、それぞれが成長した姿をみて嬉しくなった。夕刻行われた現役の生徒たちを前にした離任式で、僕は僕なりに「木曽高校定時制」に一つの決まりをつけた。

ありがとう、木曽高校。そして、木曽の地よ。