大会開催にあたって

 

 長野県高等学校総合体育大会登山競技大会に参加した生徒諸君! 「人はなぜ山に登るのか」を考えたことがありますか。

 私が愛読する雑誌の5月号に、次のような文章を見つけました。ちょっと長いですが、変に印象に残ったので引用します。

 

                                      

 人はなぜ山に登るのか。

 すでに百万言が費やされてきたテーマであるが、私なら、「くたびれるから」と、答えたい。人は、くたびれるから、山に登るのである。もし、山で疲労しなければ、誰も好きこのんで、山歩きなど続けまい。ひとたび山に入れば、決して軽くはない荷を背負って、結局のところ、一日中、歩き通すこととなる。

 歩き、歩き、飯を作り、歩き、歩き、飯を作り、眠り、さらに、歩き、歩き・・・

 もちろんくたびれ果てる。しかし、歩きに歩いて、つかのまの小休止で口にする一杯のインスタント紅茶のなんとゴージャスなことか。やっとたどり着いた幕営地で作る下手くそな焦げ飯の、なんと香ばしいことか。倒れふしてチビチビやる安ウイスキーの、なんと臓腑にしみわたることか。星降るしじまの、なんという美しさか。

 充電池に「強制放電」という言葉がある。山登りの快楽も、その強制放電に似ている。充放電をくりかえしていると、充電池というものは徐々に萎えてくる。しかし、一度、残存電力を全部放電させて、スッカラカンにしてしまうと、また元気に回復するものらしい。

 人間も同様であろう。山歩きには、体を使い切ることの、とてつもない爽快さがある。(『BE-PAL5月号 高橋団吉氏の文章より)

                                       

 

 ちょっと放電しては、ちょっと充電する、そんなに日常生活を離れ、今日は思い切って最後の一滴まで完全放電してみよう。体力や知力を最後の最後まで使い切ってみよう。そこで聞こえる友の励ましや、そこで食べる焦げた飯は、10年後、50年後、いや人生の最期のときまで君たちを充電しつづけてくれるに違いありません。

 参加生徒諸君の健闘を祈ります。

 

 最後になりましたが、今回の登山大会を開催するにあたり、多大なご理解とご協力をいただいた富士見高原スポーツセンター、ならびに南信森林管理署に、心よりお礼申し上げます。

 

 

20035月吉日              長野県高等学校体育連盟登山専門部

                       委員長 竹内佳一(諏訪実業高校)